石破 茂 です。
韓国の尹錫悦大統領の来日は、大いに評価されるべきことだと思います。
昭和58年1月、中曽根康弘総理が総理就任後、最初に訪問先に選んだ国は、アメリカではなく韓国でした。全斗喚大統領と会談後、猛勉強された韓国語でスピーチを行い、余興のカラオケも韓国語で歌われたと伝えられます。その後日韓関係は大きく改善し、韓国大統領としては初めての全大統領の訪日へと繋がりました。
尹大統領が米国よりも先に日本を訪問されたのも同大統領の並々ならぬ決意の表れと見るべきで、「たとえ支持率が10%台に下がっても日韓関係を改善させる」と語った言葉はそれをよく示しています。徴用工問題の解決策については、韓国国内で多くの批判があるようですが、大きなリスクを背負ってまでも日韓関係を改善させたいという同大統領の思いに、日本国として誠実に応えなくてはなりません。
我々は今こそ日韓現代史をよく学ぶ必要があります。「かつて台湾にも朝鮮にも、日本は同じように帝国大学や旧制高校を開設し、交通インフラを整備し、医療水準を向上させ、農業技術を発展させるという統治を行ったのに、台湾は親日、韓国・北朝鮮は反日なのは、朝鮮人が忘恩の徒だからだ」的な暴論を今でも時折耳にしますが、それは根本から誤っています。
日清戦争敗北の結果として清国は、異民族が住み、治安や衛生水準が極めて悪い、中華文明が及ばない「化外(けがい)の地」であった台湾を日本に割譲しました(下関条約・1895年)が、台湾は「島」であって「独立国」ではありませんでした。これに対し、大韓帝国は当時どんなに国内が混乱していたにせよ、独立国であったものを「併合」した(韓国併合ニ関スル条約・1910年)のであり、その本質は全く異なると言わねばなりません。たとえ善意に基づくものであったとしても、一国の文化や言語、制度や軍隊をも失わせしめる「併合」がどれほど相手国の国民の誇りを傷つけるものであったのか、このことに対する理解を欠いたままでは、日韓の真の信頼関係は築けないと思います。
仮に日本のどこかがロシアに「併合」され、「今日から貴方はロシア人。ロシア名を名乗り、ロシア語を話し、ロシア正教を信じたほうが優遇される」となったらどのような思いがするか、少し想像力を働かせてみればわかることです。
イギリスやアメリカによるアジアの植民地支配は、日本とは比べるべくもないほどに過酷なものでしたが、彼らはリスクを計算して決してインドやフィリピンを「併合」しませんでした。やはり日本が「遅れてきた帝国主義」であったことは認めざるを得ません。故・安倍晋三元総理は「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」と述べられました。日本国内には「いつまで謝りつづければ、韓国は許すと言うのだ」といった憤りもありますが、それは謝る回数や年月の長さの問題ではなく、日本国民の真摯で誠実な気持ちが韓国国民に伝わるかどうかの問題なのでしょう。故・小室直樹博士は「『同化政策』が、韓国のごとき、長い歴史と高い文化を持ち、また、社会構造的に宗教的に、日本と全く異質的な韓国において失敗することは火を見るより明らかであった。日本人が、韓国人に嫌われる最大の原因は『同化政策』なのである」と述べていますが(「韓国の悲劇」・光文社)、日本の教育ではこのことにほとんど触れていません。
「正しい歴史」とは、かつての日本を全面的に肯定することでも否定をすることでもないはずです。尹大統領の訪日を機に、日韓に新たな歴史が刻まれ、それが北東アジア地域の平和と安定に大きく寄与することを願っています。昨16日、自民党外交調査会の国連改革についての勉強会でスピーチをする機会があったのですが、国連憲章第53条と107条に定められている「敵国条項」について調べてみたところ、1945年4月25日に国連憲章作成のために米・英・ソ連・中華民国が主導して開催されたサンフランシスコ会議に招請されたのは「1945年3月1日までに枢軸国に対して宣戦布告をした国」に限られていたのだそうで、「戦勝国連合」をその本質とするUnited Nationsに加盟したいがために、慌てて日本に対して宣戦布告した国も多かったのだそうです。最終的に日本に対して宣戦布告した国の数は50か国に達しており、このことを全く知らなかったことを大いに反省したことでした。
「敵国条項はもはや死文化しており、これを削除することにあまり意味はない」との意見もありますが、条項が残っていることにはそれなりの意味や思惑があることを忘れてはなりません。これについてはまた機会を改めて記したいと思います。東京は桜の開花宣言もなされましたが、今日はやや肌寒い一日となりました。
皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。