本土空襲など

 石破 茂 です。
 最近講演で安全保障を語る際、その地が太平洋戦争において受けた空襲等の被害について可能な限り言及するようにしております。敗戦後78年が経過し、実際に戦争を経験された方も減る中にあって、戦争そのものに対するリアリティが急速に失われつつあるように思われ、戦争の記憶は相当に意図的にリマインドしていかなければなりません。
 かく言う私自身、昭和32年生まれの完全な「戦無世代」ですが、それでも子供の頃、周りには従軍した人や戦災に遭った人が大勢居ましたし、中学に上がる頃までは「日本は戦争に負けたのだ」というフレーズをほぼ毎日のように聞いていた記憶があります。田中角栄元総理は「あの戦争に行ったヤツが世の中の中心にいるうちは日本は大丈夫だが、そうでなくなった時が怖い。だからよく勉強してもらわなくてはならない」と語っておられましたが、まさに今は「そうでなくなった時」であり、意識してよく学ばねばならないと思っています。

 さる23日日曜日に神戸市で講演の機会があり、いくつかの資料に当たってみたのですが、昭和20年2月以降8月に至るまで、神戸に対する米軍の攻撃は実に徹底した凄まじいものだったようです。既に米軍は東京、名古屋、大阪の主要部を焼き払っていたのですが、これらの都市に対する爆撃で得られた教訓や反省を生かし、神戸を「どうすればより効率的に都市を焼き払うことが出来るか」という実験場としたようにさえ思われます。
 ガソリンを主成分とする油脂焼夷弾の生産が追い付かなくなったため、投下弾を「エレクトロン爆弾」(2500度の高温で燃え、水を掛ければより燃え広がる、マグネシウムを主成分とする爆弾)に転換し、東京の8倍、大阪の4倍の爆弾を投下して市街のほぼ全域を焼き払い、さらには消火活動を妨害し、避難する市民を殺傷するため、爆発すると鋭利な鉄片が四方に飛び散るクラスター爆弾の原型とも言うべき「破片爆弾」を使用し、多くの市民を殺傷しました。これでもなお足らず、最後のトドメとして「餓死(Starvation)作戦」が展開され、神戸港に大量の機雷を投下して港を封鎖し、海運による食糧の荷揚げを完全に途絶させたことが記録されています。
 にわか勉強的に仕入れた知識で恐縮なことでしたが、講演でこのお話をしたところ、多くの若い世代の方々にとっては初めて聞く話であったようです。反米感情を煽る意図は全くありませんが、戦争がいかに人間が平常時に持つ感覚を麻痺させ、慈悲心や道徳心を喪失させる恐ろしい狂気の世界であるのかについては、常にリマインドすべきでしょう。ウクライナでクラスター弾が使用され、多くの民間人が犠牲となっていますが、それは80年近く前に神戸市において我が同胞が経験したことでもあるのです。

 7月27日の朝鮮戦争「戦勝記念日」にロシアのショイグ国防相が参加したことは、ロシア・中国・北朝鮮の連携を強く印象付けるものでした。朝鮮戦争の休戦協定は国連軍と中朝連合軍との間で交わされたものであり、ソ連(法的な継承国家はロシア)は当事国ではないはずなのですが、ウクライナにおける戦いが北東アジアに及ぼす影響と北朝鮮の急速なミサイル能力向上の背景はまさにこういうことなのだと痛感させられます。停戦に向けた外交努力とともに、ミサイル防衛能力、シェルター整備を含む国民保護体制、核共有議論の強化・促進は喫緊の課題であり、政府はこれをもっと国民に語らねばなりません。

 ここ数日、必要があってこの度NATOに加盟したフィンランドの国防政策を調べているのですが、同国では国民の人口554万人に対して440万人分の退避壕が整備され、人口60万人の首都ヘルシンキには外国人や観光客も含めて90万人分のシェルターがあり、簡易ベッド、トイレ、洗面所の設備も完備、核攻撃にも耐えられる設計となっているそうです。
 フィンランドは男性に対して徴兵制が採用され(スウェーデンとノルウェーは女性も徴兵制)、これに加えて常備の10倍以上の予備役が確保されています。日本もフィンランドと同様に「ロシアの隣国」なのですが、彼我の差には愕然とせざるを得ません。「軍隊とは何か」「国は誰が護るのか」という国家の基本についての議論から目を背け、これを怠ってきたツケはいつか必ず国民に回ってきます。たとえどんなに受けが悪くても、政治がこの議論から逃げてはなりません。

 毎年この季節になると戦争に関する文献を読む頻度が高まります。今週読んだ「神の国に殉ず 小説 東条英機と米内光正」(阿部牧郎著・祥伝社文庫・上中下巻)はとても読み応えのあるものでした。東条は戦犯として絞首刑となり、米内は日米開戦に最後まで反対した良識派として評価されていますが、ともに戦前・戦中に総理大臣を務めた二人の岩手県人(東条は父君が岩手県人)の対照的な生き様を描いたこの作品は、もっと広く読まれるべきものだと思います。
 どちらかと言えば官能小説家として位置付けられる阿部牧郎(令和元年没)ですが、「それぞれの終楽章」(第98回直木賞受賞作)、「ゆっくりと悲しげに」(文藝春秋書下ろし文芸作品)等の私小説や、「英雄の塊 小説 石原莞爾」「危機の外相 東郷茂徳」等の評伝小説に秀作が多いように思います。ご存命中に一度お会いしてお話を伺ってみたかったのですが、果たせなかったのはとても残念なことでした。

 今週も恐ろしく暑い日々が続きました。昭和40年代のはじめ、鳥取での小学生時代に外気温が30度を超える日が続いて、暑中見舞いに「アツイ!」とだけ書いて出したことを妙に覚えていますが、今はそれどころではありません。あの当時はエアコン(クーラーと言っていました)のある家庭はとても珍しかったのですが、なくてもそれほど苦にはなりませんでしたし、山間部の田舎にある茅葺の家に行けば、中は風通しもよくてとても涼しかったことをよく覚えています。夏休み、海にクラゲが出始めるお盆まではほとんど海辺の町で過ごし、後半は山間部の村で川遊びに明け暮れて、最後の一週間で宿題の仕上げに追われた(何週間も前の絵日記をでっち上げるのと、読書感想文書き、自由研究が地獄のようでした)半世紀以上も前の夏の日々がとても懐かしく思い出されます。もう海や川で泳ぐことはないのだろうなと思うと、とても寂しく感じられます。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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