石破 茂 です。
旧年中はお世話様になり誠に有り難うございました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
また、能登半島地震で亡くなられた方の御霊の安らかならんことを切にお祈り致しますとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。能登半島地震は、都市部とは異なる過疎地域での災害の問題点を明確にしました。地震の巣のような日本においては、どの地域でも発災しうるのであり、早急に防災省的な組織を設立してあらゆるタイプの災害に迅速・的確に対応できる体制を整えるべきだとの思いを新たにしたことでした。
その都度都度に全力で対応していることは確かなのですが、今回もまた「自衛隊が逐次投入だったのではないか」「災害関連死が多く出るのではないか」「二次避難の体制が遅いのではないか」等々の批判が出ています。自治体、警察、消防、自衛隊など、現場が不眠不休、全身全霊で対応しているにも拘らず、毎回のようにこのような批判が出るのは極めて残念なことです。
東日本大震災の際、観光庁が中心となって観光地等のホテル、旅館を二次避難先とする仕組みが提唱されたように記憶しているのですが、これを全国的に迅速に機能する体制をつくることも急務ではないでしょうか。水も食料もトイレも風呂もない酷寒の中、避難所や車の中で生活しておられる方々の苦難を一分でも一秒でも早く解消することこそが最優先だと私は思います。内閣府にある防災担当部署を発展的に改組し、専門的人材を終身的に雇用・育成し、知識と経験が伝承される「防災省」の創設を今一度声を大にして訴えたいのです。
能登半島地域の水産業も壊滅的な被害を受けています。自民党水産政策の責任者として、早急に対策を樹立し、現地の水産関係者に一刻も早く安堵して頂けるよう努めてまいります。
昨日党本部に、総裁を長とし、40名近くの議員で構成される「政治刷新本部」が発足し、議論が開始されたと報道されています。派閥のパーティ券収入の「裏金化」問題は、派閥による自己解明がなされない以上、検察の捜査に委ねる他はありませんが、「政治刷新」と銘打つからには国民の多くが共感・納得する結論を得なければなりませんし、その中核に「派閥の存在」があることは論を俟ちません。
政策グループは政策研究や各種選挙の支援等、党本部ではカバーしきれない分野を補う機能を持つべきですが、単なるポストと資金の配分機能に特化しているとすれば、国民のニーズとの乖離は明らかです。
政治改革大綱の理念は、二大政党制を前提として、政党の機能を強化するという方向性でした。今回もこの理念を踏襲するのであれば、ポストと資金配分の機能につき、一定の基準のもとに党に一本化することを考えることになるのでしょう。
昨年の年末、かなり丁寧に選挙区内を廻ってみたのですが、永田町の感覚とは大きな差があることを実感します。これは鳥取県のみならず、全国的な現象であるはずで、これを見誤ると政権の維持自体が困難になるように思われます。この現状を決して甘く見てはなりません。
極めて当然のことですが、政治を変える力を持っているのは主権者である国民であり、それ以外にはありません。期日前投票の制度がかなり整備されて、投票の利便性が格段に向上したにもかかわらず、投票率がここまで低いことに強い危機感を覚えています。
「投票したい候補者がいない」「投票したい党がない」と言うのであれば、それを明確に示す白票を投じてこそ意義があるのだと思います。棄権という選択では、どのような意思に基づくものなのかが全くわかりません。敢えて言えば、「国の安全保障がどうなろうが、財政や社会保障がどうなろうが私の関知したことではない」「誰が政治をしても同じことだ」という有権者が多い国の将来が、明るいものになるとは私にはどうしても思われません。
「投票したい候補者がいない」というのであれば、各政党の候補者の選定の部分から党員等になって関わっていくことも必要でしょう。この地域の代表として相応しい、と思える自分の身近の人を発掘し、各政党の候補者として推薦したり、支持する人を増やしたりすることは、有権者教育の進んでいる北欧では至極当然のこととして若者が多く関わっていると聞きます。
また、投票義務制に多くの反対論があることをよく承知してはおりますが、民主主義が健全に機能するためには、より多くの投票が必要です。国民主権における主権者の責任の重さは、民主主義の価値と極めて近似したものであるように思われます。主権者と我々政治に携わる者との間には、強い信頼関係とともに適度の緊張関係があるべきですし、我々は常に主権者に対する畏れと怖れの念を失ってはなりません。
年明け以来、体調の不良が続いており、何とか早く回復したいものだと願っております。
寒さが続く日々、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。被災地の皆様の少しでもの安らぎを心より念じております。