改憲論議、三原朝彦先生など

 石破 茂 です。
 総選挙から二週間近くが経過しました。衆議院総選挙はその性質上、「政権選択選挙」となりますが、今回は「自民・公明の現政権か、共産党が閣外協力で政権に関与する立憲民主党中心の政権か」ということが争点となり、具体的な政策の選択肢を国民に問う、という総選挙のもう一つの機能があまり果たされないものとなってしまいました。
 人口急減対策、地域分散型経済への移行、医療を公的なインフラとして位置付ける法改正を中心とする医療体制の抜本的な見直し、安全保障法制の整備と防衛装備体系の刷新、対中・対韓外交の在り方など、喫緊の課題は数多くあるのであり、次期国政選挙である参議院選挙においてはこれらに対する与党の解決策を明示して有権者に問うべきものと思っております。

 投票日まで結果予測も揺れ続け、非常に見通しづらい選挙でもありました。自公の絶対過半数維持や立民の惨敗を予測した報道はほとんどありませんでしたが、応援に行った先でも自民党への積極的支持の雰囲気はあまり感じられなかったのも事実でした。
 「今の自民党のあり方には必ずしも賛同できないが、共産党の関与する政権は更に嫌だ」という有権者の多くが自民党候補に投票し、自民批判票が維新に流れた、という結果なのでしょう。
 大阪では維新が躍進し、自民党は小選挙区では全敗を喫しましたが、これは単なる一過性のブームではないのではないかと思わされました。知事や市長などの首長や地方議員の多くを輩出し、団体からの支持も取り付けるというやり方は本来の自民党の手法そのものであり、吉村大阪府知事の人気も高い。総選挙中に行われた参議院静岡選挙区補欠選挙で立憲民主党の候補が勝利しましたが、これも川勝静岡県知事が全面的に野党候補を支援したことの効果が大きく、基本的には大阪と同じ構図であったように思います。

 立憲民主党の敗因は、未だに国民の間でアレルギーの強い共産党と共闘したことで保守寄りの無党派層が離れた分の影響が読みきれなかったことと、「立憲民主党にはかつての民主党政権で大臣などの政権の中枢を担った人材が多くいる」とのアピールが逆効果になったことによるのではないかと思っております。しかし選挙前は、「巨大与党に対抗するには野党がバラバラであってはならない」という論が大勢だったのであり、「では一体どうすればよかったのだ」というのが立憲民主党幹部の心境かもしれないとも思います。選挙区ごとの状況を子細に見れば、共産党との共闘が一定の効果をあげたところもあり、自民党としてさらに精緻な分析をして来年に臨むべきと考えます。「勝ちに不思議の勝ちあり、敗けに不思議の敗けなし」という、野党時代に噛みしめた言葉を今、改めて思い出しております。

 総選挙では憲法改正について、各党の是非のみが報じられた程度でしたが、選挙直後から維新が「来夏の参議院選挙において憲法改正の国民投票を同時に行うべき」との論を展開しており、国民民主党もこれに同調するかもしれません。これを一つの好機と捉えるのであれば、まずは自民党として憲法改正草案で決定した中から、野党の多くの賛同が得られるような条文を内容として先出しすべきと考えます。例えば、「臨時国会の開会要求があった場合の期限設定」については、反対する党派があるとは思われず、相当に改憲議論のハードルは低くなるのではないでしょうか。
 本来、改憲論議そのものと、憲法第9条の改正とは、分けて進める方が国民にも分かりやすいのではないかと思います。9条改正について、私のような本質的改正を主張すると改憲自体が後退する、と主張される向きもありますが、これは最初から改憲論議そのものをいったん9条から切り離して行えば解決することです。
 9条改正は、むしろわが国の独立と平和を保持するために何が必要か、という根本的な問題として広く深く議論する方が、結果的に理解を得る早道となると考えています。日本が独立国家として生きていくために、今後の激変する安全保障環境に対応するために、何が必要か、という議論には、折角多くの議席を得た今こそ取り組むべきものだと思います。
 本質論としては、①自衛隊は国の独立を守る組織である、②最強の実力集団であるが故に司法・立法・行政による厳格な統制を受けるべきものである、③その行動は国際法と国際慣習に従うものである、ということが議論の大前提です。その意味では、難解な現行憲法9条を出発点とするよりも、「そもそもわが国の独立と平和のために何が必要か」という白紙的議論の方が近道なのかもしれません。私はこのような広く深い議論を経たうえで、これに対する衆参両院議員の三分の二と有権者の二分の一の理解が得られないとは全く思っておりませんし、自民党はそのために誠心誠意、全力を尽くして努力をするべきです。

 先人の営々たる努力の甲斐あって、敗戦以来75年、我が国は一度も戦争に巻き込まれることなく今日に至っており、国民の中で実際に戦争を体験した方々もごく僅かとなっています。それはとても素晴らしいことなのですが、これが同時に、勿論私も含めて、戦争や軍隊の本質を突き詰めて考える機会を決定的に失わせる事態を招いてしまったことも事実だと思っています。本来、平和であることと、「戦争について考えない」ことは全く別であるはずなのですが、これは私自身も含めた政治の怠慢と痛烈に反省しています。
 民主主義国家において、あらゆる政策が国民の理解と支持を得て行われなければならないのは当然のことですが、国家の存立が懸かるからこそ、安全保障政策についてはより広い議論と深い理解を得られるよう、政治の側が努力しなければなりません。
 たとえば、「文民統制(シビリアン・コントロール)」という概念も頻繁に語られますが、わが国における「文民統制」が非常に原型からかけ離れている、という認識を持っている方はそう多くはないのではないでしょうか。
 「統制」というからには理論的に「統制する側の主体」と「統制される側の客体」が存在していなければならないのですが、国家行政組織法上、わが国の「防衛省・自衛隊」は警察組織と同じく完全に行政組織の中に組み込まれており、「行政権による防衛省・自衛隊の統制」というのは概念矛盾となります。そうすると現状では、立法権と司法権による「統制」しか考えられず、かなりユニークな形とならざるを得ません。
 これは、「軍は国家に隷属し、警察は政府に隷属する」という国際法的な概念から、わが国の防衛省・自衛隊のあり方がかなり離れていることによるものです。
 「政府に隷属」している自衛隊に対する統制は、究極的には個々の自衛官が持っている高い使命感と責任感に依存する形となります。しかしそこに、制度的な担保もまた必要なのではないか。防衛庁や防衛省で仕事をしていた当時以来、ずっと悩み続けているのですが、今度の任期中にこそ一定の解を見出さなければならないという思いです。

 今回の選挙により、衆議院議員の中では9番目、自民党の中では6番目という長い議歴となりました。29歳で初当選した昭和61年当時のことが昨日のように思えますが、実際には恐ろしく長い時間が経過していたのです。長きが故に尊からず。何を為し得たのか、よく自問自答して更に研鑽努力を重ねたいと思います。
 当選同期生は自民党だけで46人いたのですが、今や逢沢一郎議員、村上誠一郎議員、渡海紀三朗議員と私の4人だけになってしまいました。
 今回の選挙で、人柄、見識、あらゆる面において尊敬し信頼していた三原朝彦議員が議席を失ったことが残念でなりません。選挙区の北九州市にまる一日応援に行き、雰囲気も良かったのですが、惜しくも届かず、比例重複も定年制を理由にありませんでした。かけがえのない友であった三原さんが国会からおられなくなってしまったことのたとえようもない喪失感は、日に日に強くなっています。

 この週末も選挙区へ帰り、ご挨拶回りを出来る限り丁寧に行う予定です。自分が議員である所以はあくまで選挙区の有権者なのであり、この原点を大事にしたいと思っております。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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石破茂
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