64年を迎えた水俣病の教訓から思う、新型コロナウイルス感染症のこと。

こんにちは。小泉進次郎です。 昨日、5月1日で、水俣病公式確認から64年を迎えました。 水俣は、環境省にとって特別な場所です。環境大臣に就任した時に、環境省の職員から真っ先に言われたのは、水俣病という公害があった事で1971年に環境庁が出来たと言うこと。当時、社会問題だった四大公害病(水俣病、第二(新潟)水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病)が環境省の前身である環境庁設立のきっかけになりました。 例年5月1日は熊本県水俣市で、「水俣病犠牲者慰霊式」を行い、私も出席する予定でしたが、今年は新型コロナウイルスの影響で、式が延期になりました。去年の訪問の時に目にした水俣のきれいな海、患者の皆さんとの再会も楽しみにしていたので、とても残念です。環境省は、式の延期に関わらず、引き続き、水俣病問題の解決に向けて、できることを一つ一つ着実に積み上げていきます。 水俣病で亡くなられた方々、今も病気に苦しんでいらっしゃる方々へ心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 水俣病が発見された当時、原因も分からず、地元では「奇病」と呼ばれ、伝染病として恐れられました。その後、水俣病の原因はメチル水銀が原因ということが分かりました。地域社会の絆の再生、地元ではこれを「もやい直し」と呼んでいますが、(「もやい」とは、元々船をつなぐことや共同でことを行うこと)人と人との関係、 自然と人との関係がいったん壊れてしまった水俣で水俣病と正面から向き合い、対話し協働することに環境省も一緒に取り組んでいます。 悲しいことに続きをみる

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