【講演書き起こし】平成のうちにやるべきこと〜人生100年時代の社会保障と国会改革〜

こんにちは。小泉進次郎です。 先日、「平成のうちにやるべきこと」と題して、“人生100年時代の社会保障”と“国会改革”について講演し、その書き起こしをブログに公開しました。長文ではありますが、私がいま政治家として考えていること、今後取り組んでいくことがまとまっていますので、ぜひご一読ください。 国策研究会会員懇談会 2018.10.15 (リード文)〝平成のうちに〟やるべきこととは「人生百年時代」が到来し、生き方や価値観が多様化する時代に、もはや戦後のやり方は通用しない。厚生年金の適用拡大、年金受給開始年齢の柔軟化、自助を促す保険料自己負担割合の設定など、柔軟な社会保障制度が必要だ。また、平成のうちに国会改革を何とか一つでも前に進めたい。 (講演書き起こし) 「人生百年時代」の到来  「人生百年」と言う言葉が定着しつつあり、最近の企業広告にも「人生百年」を使ったものが増えている。 例えば、ダスキンの広告には、「人生百年時代に、百番、百番。」というコピーとともに、「きんさん・ぎんさん」で知られる蟹江ぎんさんの娘さん二人、千多代さんと美根代さんが出演している。千多代さんは百歳、美根代さんは九十四歳。この広告の写真を撮った篠山紀信さんは、七十七歳だ。まさに、「人生百年時代」を表現した広告だ。 一方、富士フイルムの広告には、「楽しい百歳。」というコピーが、りそな銀行の広告には、「人生百年時代、到来! 長生きに、そなえよう。」というコピーが使われている。 実は、この「人生百年時代」という言葉は、我々自民党若手議員が中心になって組織した「二〇二〇年以降の経済財政構想小委員会」で生まれた言葉だ。この委員会が、今から二年半前に「レールからの解放」と題した提言を発表した。これは政治の場で初めて「人生百年時代」という言葉を使った提言だろう。 二十二世紀を見据えた新しい社会モデル  「レールからの解放」は、以下のような内容だ。  「レールからの解放」  ─二十二世紀へ。人口減少を強みに変える、   新たな社会モデルを目指して─  〈二〇二〇年以降を「日本の第二創業期」と捉え、戦後続いてきたこの国のかたちを創りなおす。それは「人口減少」という確実な未来の中でも、日本が成長していくために、必要不可欠な変化である。 これまで日本社会は、一本道の「レール」を走り抜くような生き方を求めてきた。受験に始まり、新卒での就職、毎日休みなく働き続け、結婚して子どもを持ち、定年後は余暇を過ごす―「二十年学び、四十年働き、二十年休む」という人生こそが普通で幸せな生き方だ、と。それに基づき、終身雇用慣行や国民皆保険・皆年金などが生まれ、これまでは実際によく機能してきた。戦後日本が一丸となって努力し、ゼロから奇跡的な飛躍を遂げ、今日のような豊かさを持てたのは、そのような日本型経済モデルの賜物である。 しかし、人口減少による少子高齢化、さらに「人生百年」生きていくことが当たり前になる未来に、もはや戦後のやり方は通用しない。レールによる保障は財政的に維持できないばかりでなく、私たちが望む生き方とズレが生じてきているのではないか。 「一度レールから外れてしまうとやり直しがきかない」そんな恐れから小さなチャレンジにも踏み出せない。価値観が多様化しているにも関わらず、人生の横並びばかりを意識し、自分らしい選択ができない。かつて幸せになるために作られたレールが今、この国の閉塞感につながっている。 政治が、その「レール」をぶっ壊していく。もっと自由に生きていける日本を創るために。 新卒や定年なんて関係ない。「六十五歳からは高齢者」なんてもうやめよう。現役世代の定義そのものから変えていく。 百年を生きる時代だ。いろんな生き方、いろんな選択肢がある。十代のうちから仕事や起業という道もあれば、大学卒業後すぐに就職しないという選択もある。転職を重ねるのも、学び直しをするのも当たり前。いつだって子育てや家族のケアを最優先できる。何かに失敗したとしても、何度でもチャレンジできる。 学びも仕事も余暇も、年齢で決められるのではなく、それぞれが自分の価値観とタイミングで選べる未来へ。政治が用意した一つの生き方に個人が合わせるのでなく、個人それぞれの生き方に政治が合わせていく。そうすればきっと、百年の人生も幸せに生きていける。 それは同時に、働き方・生き方・教育の位置づけ、そして社会保障を見直すことにつながる。真に困った人を助ける全世代に対する安心の基盤の再構築は、小さなチャレンジや新しい人生の選択の支えになる。子育て世代の負担を減らし、現役世代を増やしていくことで、日本社会全体の生産性を高め、人口減少しても持続可能な社会保障になる。 簡単なことではない。しかし、終戦直後、敷かれたレールも無い中で、一人ひとりが挑戦を続け、世界に誇る唯一無二の社会モデルを確立したのが日本という国である。むしろ先人たちが遺した豊富な資産と、日々進化する新しい技術がある今、できないことは何もない。人口減少さえも強みに変える、二十二世紀を見据えた新しい社会モデルを、私たちの世代で創っていきたい。〉  副題にある「二十二世紀」という言葉を使ったのも、政治提言としては、「レールからの解放」が初めてだろう。 なぜ、二十一世紀の前半に、二十二世紀のことを語るのかというと、実は、今の子どもたちは、二十二世紀を見ることになるからだ。九歳以下の日本人の五〇%は平均寿命が百七歳なので、彼らが普通に平均寿命を全うすれば、二十二世紀まで生きることになる。 労働人口の割合はそれほど減らない  現在の生産年齢の定義は十五歳~六十四歳とされており、その人口の割合が今後減少する。しかし、十五歳から働いている人がどれほどいるだろうか。また、生産年齢の終わりは、本当に六十四歳でいいのか。 現在の社会の在り方を考えれば、生産年齢人口は十五歳~六十四歳ではなく、十八歳~七十四歳とする方が実情に合致しているのではないだろうか。 実は、生産年齢の定義を十八歳~七十四歳に変えれば、それほど労働人口の割合は減らないのだ。十五歳~六十四歳の人口の割合は、二〇四五年に五二%(推計)まで減少するが、十八歳~七十四歳では六六%(推計)にとどまる。 つまり、労働人口の定義を十八歳~七十四歳に変えることによって、悲観されているほど、労働力の減少は深刻ではなくなるということだ。 時代は「第一創業期」から「第二創業期」へ  「レールからの解放」から、次々と政府の政策が生まれつつある。我々は「レールからの解放」発表後、「人生百年時代」の社会保障として、次の三つの政策を掲げた。  (一)第二創業期のセーフティネット~勤労者皆社会保険制度の創設~ (二)人生百年型年金~年金受給開始年齢の柔軟化~ (三)健康ゴールド免許~自助を促す自己負担割合の設定~  「第二創業期」は、我々若手の議論の中から生まれた考え方だ。日本という国を企業のようにとらえ、戦後(一九四五年~)を「第一創業期」とすれば、二〇二〇年以降は、新たな「第二創業期」と位置づけられるのではないかと我々は考えた。 第一創業期の出発点は、まさにレールも何もない、敗戦による焼け野原だった。経済は、主に製造業によるキャッチアップ型だった。平均寿命(一九四七年)は、男性五十歳、女性五十四歳で、今よりも三十年も短かった。 人口構造は、「人口ボーナス」と呼ばれるように、毎年必ず増えていた。人生設計は、一直線のレール型であり、多くの方々が同じようなモデルの人生を生きた。雇用は、基本的に終身雇用。社会保障は、世代間の助け合いで、高齢者への給付が中心だった。 教育は、平均的に質の高い人材を新卒一括採用という形で供給するというモデルだった。地方の在り方は、田中角栄総理が目指した「国土の均衡ある発展」に象徴されるように、国土の画一的な発展を重視していた。これらが、第一創業期の在り方だったのではないか。 一方で、我々が見据えている二〇二〇年以降の第二創業期は、全く背景が変わる。出発点は、先人の皆さんが築いてくれた豊富なストックと、人工知能に代表されるような高度な技術や産業基盤がある状況だ。先人の方々に感謝しなければならない。 経済は、技術革命の時代だ。製造業中心の在り方ではなく、最近のソフトバンクとトヨタの提携に代表されるように、従来の業界の垣根がなくなりつつある。 平均寿命(二〇二〇年、推定)は、男性八十一歳、女性八十八歳となり、七十年前より寿命が三十年伸び、今後は「人生百年」が当たり前の時代となる。現在、日本の百歳以上の人口は、六万九千人に上る。私の地元の三浦市の人口(四万三千人)以上だ。 人口構造は、人口ボーナスと逆に「人口オーナス」と呼ばれるように、毎年人口が減っていく。そして、人生設計は、一直線のレール型ではなく、網状のネット型になる。 七十三歳で大学に入学した萩本欽一さん  最近、私の地元横須賀で開催した演説会に、コント55号で有名な萩本欽一さんを講師としてお招きし、私と萩本さんが「人生百年時代」をテーマに対談した。実は、現在七十七歳の萩本さんは、駒澤大学仏教学部四年生なのだ。萩本さんは七十三歳の時に、駒沢大学に入学、それがニュースにもなった。そして、彼は『ばんざいまたね』という本を書いた。 私は同書を読み、目からウロコが落ちた。「こういう発想があるのか」と思うことが数多くあった。そして、萩本さんにお会いし、「なぜ大学に行くことにしたんですか?」と尋ねると、萩本さんは次のように語ってくれた。 「小泉さんの歳だと分からないと思うけど、七十歳を超えると、どんどん物忘れがひどくなるんだ。忘れないようにしなければと思っても、どんどん抜けていく。それで、ある時、思いついたんだ。もう仕方がない。どんどん出ていくんだったら、出ていく分だけ入れればいいと思った。そこで、大学に行こうと思ったんだよ」 そして萩本さんは、「大学に入学し、四年生になった今、一番頭が回る。だから、これからは、認知症を予防するために、病院に行くより『大学に行け』だよ」と語ってくれた。 このような話を聞き、私は素晴らしいと思った。そこで、私が話すよりも、萩本さん自身に話してもらった方がいいと思い、講演会にお招きしたわけだ。 多様な生き方に対応した柔軟な社会保障制度が不可欠 実は、大学生の年齢が十八歳~二十二歳だと思っているのは、日本人ぐらいのものだ。本来は、学びたい時が学ぶ時であり、世界的に見れば、七十七歳の大学四年生も、それほど珍しいことではない。 私も、コロンビア大学大学院に行っていたが、日本のように、二十代の学生が圧倒的に多い訳ではない。こうした一直線のレールにとらわれない生き方が、日本でもっと増えて然るべきだ。すでに、こうした網状のネット型の人生設計を始める人も出てきている。 最近、八十一歳でゲームアプリを開発した若宮正子さんが、多くのメディアから「世界最高齢のプログラマー」と紹介された。ひとり一人が、多様な生き方をする時代なのだ。安室奈美恵さんが四十歳で引退し、巨人の髙橋由伸監督も今年で辞められるということだが、人は何歳からでも再出発できる。 また、雇用においても、終身雇用ではなく、多様な働き方が広がってくる。 こうしたひとり一人の多様な生き方を支えられるような、柔軟な社会保障の制度や政策が今後重要になる。 本来、自らの力で生きられる人には、自助によって頑張っていただくことも必要だろう。財政の問題が深刻になる中で、支えを必要としている人に、いかに必要な資源を振り向けていくかを考えた時、我々が見据えなければいけないのは、真に困っている人であれば、高齢者の人であろうと、若い人であろうと、年齢にかかわらず支えていく社会保障を作っていかなければいけないということだ。 教育も、多様性に寛容な人材を育て、いつでも学び直しができるようにしなければならない。地方も、それぞれの独自性を活かした、多様で、自立した、彩りある地方を創っていくことが重要だ。 非正規労働者にも厚生年金を  このように、第一創業期と第二創業期を比較すると、それぞれの前提条件が全く異なるということがよく理解できるだろう。 だからこそ、第二創業期のセーフティネットとして、我々が掲げた政策の一番目の「勤労者皆社会保険制度」の創設が必要となる。 勤労者皆社会保険制度は、ひと言で言えば、厚生年金の適用拡大だ。働いている方には、正規と非正規がいるが、非正規の方々でも、社会保険が適用されるようにする必要がある。 国民年金だけではなく、厚生年金も給付されるようにすべきだ。そのために、厚生年金の適用を劇的に拡大させる方向で、社会設計をすべきだというのが、勤労者皆社会保険制度の主眼だ。 勤労者皆社会保険制度では、文字通り、勤労者は皆、社会保険に入ることになる。そうなると、当然、中小企業を含め、企業側からの反発があるだろう。企業は、働いている方の社会保険を折半しなければならないからだ。 しかし、日本の状況は人口オーナスだ。人口が減り、労働力の確保が難しくなる中で、今後は会社が人を選ぶのではなくて、働く人が会社を選ぶ時代になる。その際、どのような社会保険が適用されるかというのが、働く側の企業選択の判断材料の一つになるだろう。 また、働く側が、働き方改革に積極的で、労働環境が充実している企業を選ぶ時代になる。 企業が社会保険や労働環境を整えることは、人材への投資だということだ。人材への投資を躊躇するような企業には、いい人材は集まらない。そういう時代になっていくと思うし、なっていくべきだと思う。 すでに厚生年金の適用拡大は進み始めているが、企業の理解を得ながら、さらに適用を拡大していくべきだと考えている。 柔軟化すべき年金受給開始年齢  二番目の「人生百年型年金」については、九月の自民党総裁選で、安倍総理も唱えていたが、その起源は、我々若手の勉強会の提言にある。 現在、年金を六十歳~七十歳のうち、何歳から受給されるかは、ひとり一人が選択できる。 しかし、年金をもらい始める年齢を、七十一歳以降にすることはできない。七十歳以降も働いている方がいるにもかかわらず、七十一歳以降を選べないのはおかしい。したがって、年金受給開始年齢を柔軟化する必要があるということだ。 また、年金をもらいながら働いていて、ある程度の所得がある方は、年金額をカットされる。これは、在職老齢年金制度と呼ばれる。 これに対して、我々若手の勉強会では、働くことが不利益にならない社会を創るべきだと考えている。年金をもらいながら働いている方も、年金額をカットされない制度設計をすべきだ。 この在職老齢年金制度の見直しと、年金受給開始年齢の柔軟化が「人生百年型年金」の基本的な考え方だ。 よく誤解されるのだが、受給開始年齢と支給開始年齢は意味が異なる。受給開始年齢はひとり一人が何歳からもらい始めるかであり、支給開始年齢は一律何歳からしか支給しないという年齢を指す。現在、我々が議論をしているのは受給開始年齢の方だ。 我々は、受給開始年齢は八十歳でもいいのではないかと考えている。六十歳~八十歳までの間であれば、受給開始年齢は自分たちで決められるという考え方である。 現在は、六十歳~七十歳の十年間の幅をもって、ひとり一人が何歳から年金を受給するかを決めることができるが、頑張って七十歳まで延ばした時には、年金額は四割上がる。一方で、六十歳で受給するという選択をすると、減額をされたまま、薄く長く支給されることになる。 今後の制度設計において、受給開始年齢をさらに後ろに延ばした場合に、年金額をどの程度上げるかなどを検討しなければならない。 新たな制度設計をすることは、国民の皆さんが、年金の在り方について、改めて考えることにつながると思う。 自分が蓄えたものを取り崩しながら、年金を受給せず、できるだけ長く頑張り、「そろそろきついな」という状況になってから、年金をもらい始める。受給開始年齢を後ろに倒せば倒すほど年金額は増える。この「人生百年型年金」を目指して政府も本格的に動き出している。 自ら健康管理に努めることがプラスになる  三番目の「健康ゴールド免許~自助を促す自己負担割合の設定~」は、国民が自ら健康管理をするインセンティブを高め、そうすることがプラスになるという発想に基づくものだ。 制度として、健康管理のために、ひとり一人の行動変化を促すことを支援することができないかを検討している。 最近になって、かなり民間にも動きが出始めている。アメリカでは、すでに数年前から、「一日何歩以上歩く」など、健康管理に努め、その結果が出れば、保険料率が下がるというような保険商品が販売されている。日本でも、様々なところで、健康管理に努めることがプラスになるという取り組みが始まっている。 以上のように、「人生百年時続きをみる

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