第882号 「令和」の皇室

 1日、天皇陛下が即位され、「令和」時代が始まりました。30年にわたる「平成」の間、天皇陛下としてのお務めを果たされてきた上皇陛下に、あらためて感謝の意を表するとともに、新しい天皇陛下のご即位を心よりお慶び申し上げます。

◆実現した「譲位」
 天皇陛下の退位と新天皇陛下の即位は、厳かな中にも国民による祝賀ムードにあふれる素晴らしい御代替わりとなりました。昭和天皇の崩御による沈痛な雰囲気の中での新天皇の即位、改元となった平成と比べて、あらためて、「譲位」が代替りにふさわしいと思えました。

 「譲位」が実現する発端となったのは、平成28年8月に、当時の天皇陛下が問いかけられた「象徴としてのお務めについてのおことば」でした。おことばの後、当初は譲位そのものに否定的な意見もあり、政府も及び腰で、案として、特例法により一代限りで例外的に退位を認める方向で検討がされていました。

 しかし、私は、陛下の問いかけの本質を考えると、過去、125代の皇位のうち、57代が譲位によって継承されてきたという伝統や、崩御後の混乱を防ぎ、安定的な皇位継承を実現するためには、むしろ譲位の恒久化こそが必要と考えました。そして、当時の民進党で、皇位検討委員会を立ち上げ、譲位を恒久的な制度として皇室典範改正を行うべきとする対案を掲げ、与党と議論を重ねました。与野党間がそれぞれ自らの案を出し合い、それを基にして建設的な議論が交わされるという、本来の国会のあるべき議論が行われた結果、今回の譲位は将来的に先例となり得るとの国会答弁を菅官房長官から直接得ることが出来ました。

 その答弁は、退位にあたっての菅官房長官記者会見でもそのまま引き継がれており、恒久的な譲位制度の構築に先鞭を付けるものとなりました。このような国の礎を成す制度の議論に参加できたことは、私にとって非常に光栄なことでした。

◆安定的な皇位継承の課題
 「譲位」は実現しましたが、安定的な皇位継承のための最大の課題である皇位継承者の問題は、令和において早急に議論を始めなければなりません。現在、皇位継承資格者は男性に限られており、御3方しかおられず、皇太子殿下は存在しない状況です。そして、直近の世論調査では、79%が女性天皇を容認するという結果が出ています。女性天皇や女性宮家の創設を認めるのか、また、他の手段として旧皇族の復帰を検討するのか等は、皇室の未来を考えるうえで、避けては通ることの出来ない議論です。安倍政権はこの点に関し、とりあえず当面現状のまま、問題を後世に先送りしようという姿勢で臨むことが予想されます。

 私も今一度、皇位の安定的継承と皇室の末永いご繁栄のために、伝統と現行憲法との調和を踏まえた対案を提示して、野党の意見をまとめ、政府の及び腰の姿勢を質していかなければならないと考えています。令和においても、この国のあり方を規範する皇位継承問題には全力で取り組んでいく所存です。

 

スタッフ日記「平成最後の日に」

 ここ数年、ゴールデウィークは、妹夫婦と一緒に一泊旅行が恒例になっています。今年は、4月29,30日と京都の南丹市へ。

 この辺りは、私の父の故郷で、近くに親戚の家があり、主人の実家も近くて馴染みのある土地です。子供のころは、毎年お盆とお正月は、父の実家に家族そろって帰っていました。
今回は、『丹波ワイン』の工場見学、『美山かやぶきの里』へ行く予定です。向かう道のりは、のどかで山々が美しく、子供のころに見た風景とあまり変わっていなくて、時間の流れが少しずつゆるやかになっていく気がします。

「そういえば、昔親戚の家もかやぶき屋根で、土間があって、トイレが家の外にあったね。」「夜、トイレに行くのがこわかったね。」
「スリッパを片方トイレに落としておこられたね。」
など懐かしい記憶がよみがえってきます。

 平成が終わるということで、テレビでは平成を振り返る番組が流れています。昭和生まれの私は、平成になったのは少し前のような気がしていましたが、平成は30年。昭和よりも長い年月平成を生きてきたんだと思うと、驚きです。

 そして父が亡くなったのは1988年で、昭和の終わりの年でした。(平成は1989年1月8日からです)「よく考えると父さんとは、平成を一緒にすごしてないんだね。」
いつのまにか私も妹もあの頃の父よりも年上です。

 平成最後の日に、妹と父のことを話していることを不思議に思いながら。今こうやってお互い健康に幸せに過ごせているのも、父が見守ってくれているおかげのような気がして、感謝の気持です。
ずいぶんご無沙汰しているので、今度お墓参りにいってみようと、思っています。(まーちゃん)

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馬淵澄夫
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