吉野山中事故から一年 

 昨年11月4日、吉野山中で車が擁壁端部に激突するという大事故に遭遇してから1年が経ちました。
あの日、午後2時過ぎ、激しい衝撃と共に目を見開くと、車内は煙と粉塵で真っ白でした。三重県熊野での式典の帰り道、祝賀会で一献いただいた私は助手席で座席を倒して寝ていました。事故直後、事態がすぐに飲み込めず、全身を貫く痛みと目に飛び込んできた左前腕にぶら下がっている手首と破れたエアバッグを見て、車が何かに激突したことを理解しました。右足首もおかしな方向に曲がり、何よりも胴体全体を貫く焼けるような痛みで、声も出ませんでした。かろうじて、かすかに動かすことのできる右手でシートベルトを外すと、みるみるうちに腹部が膨らんでいきました。さすがに、医学に素人の私でも、もはや尋常ならざる事態が我が身に起こっていることが理解できました。
妻が119番をかけてから、40分ほどして救急隊と警察が駆けつけてくださり、私の容態を見て、すぐにドクターヘリを要請してくださいました。同乗していた妻に、救急隊員の方が「ご主人、危ないので、向こうの救急車に乗ってください!」と言われ、泣き崩れながら乗り換えていく妻の姿を見て、事態の深刻さを実感しました。腹腔内の出血はどんどん進み、意識がもうろうとしていく中、苦しみと失血性ショックの直前状態に陥り、「もはや、ここまでか…」と生まれて初めて自らの「死」を意識した瞬間でもありました。
ドクターヘリは日没になると飛べなくなり、その時間まであとわずかと緊迫した中で、ようやく車からの救出、搬送となりました。もし間に合わなければ救急車での陸送を余儀なくされ、私は道中で絶命していたところでした。
なんとかギリギリ、ランデブーポイントまで救急車で運ばれ、ドクターヘリに担ぎ込まれ、意識が薄れる中、乗り込んでくださっていた県立医大高度救命救急センター長の福島教授に励まされ、病院に到着し、緊急の開腹手術が施されました。県立奈良医大高度救命救急センターの執刀医チームの皆さんによって、手術が行われ、内臓を取り出し損傷部位を切除、縫合、つなぎ合わせ、複雑骨折で粉砕状態の骨を丁寧につなぎ止めチタンプレートを埋め込む等の手術を施していただきました。
私は、意識がない中で、幼い頃、両親に手を引かれて歩く自分の姿や、よちよち歩きの弟がついてくる姿など、自分の人生を映像で見るような光景が次々に見えました。そして、幼きころの姿の後は、友や妻や家族が現れることなく、なんと、突然、本会議場に入ろうとする自分の姿が見えたのでした。
フラッシュを浴びて本会議場に入る姿が何度もよぎりましたが、今思えば、「もはやここまでか…」と観念したと同時に、無念さがこみ上げてきたことによるフラッシュバックだったのかと思います。
そんな死地からの回復は、奇跡的な速度で進みました。チューブに繋がれ、絶飲絶食の中、ボディビルで身につけていた筋肉がアミノ酸に分解され内蔵修復に消費される「異化作用」が生じ、信じられないような速度で 内臓損傷は回復していきました。さらに、機能回復のため、スポーツリハビリ専門の東京新宿メディカルセンターに転院、センターの整形・リハビリチームの皆さんによって機能回復にあたっていただき、早期の復帰を遂げることが出来ました。まさに新しい命をいただいた思いです。
そして、私は、蘇りの地、熊野を訪れた後、このような事故に遭ったことの意味をベッドに横たわりながら、ずっと考えていました。このような運命の意味を自らに問い続けていました。そして、その答えを、やっと、入院中に気づくことが出来ました。
ある高僧が、お見舞いに来てくださり、「何も考えてはいけません。ひたすら五感を研ぎ澄ませて感じてください。自らの直感を信じてその命の意味を受け止めてみてください」と仰っていただき、考えることをやめました。そうすると、ふと、新しい命の意味を、感じることが出来たのでした。
それは、自らが何かをしようとするのではなく、もう一度皆さんに、選んでいただく選択肢を示すお役に立つことだ、と。これこそ自分の使命だと感じることが出来たのです。そのために、全てを捧げよう、これこそ、私に与えられた命の意味だ!と受け止めることが出来ました。
あれから一年、再び熊野の地を訪れる機会が到来しました。正直、事故現場に訪れる事は、少々、気後れしましたが、多くの方から訪れて新たな命を授かったことの感謝を、吉野の山の神々にした方が良いと言っていただき、心が定まりました。
一年ぶりの吉野は、霧雨と雲が垂れ込めており、おどろおどろしい雰囲気でありましたが、事故現場にたどり着き、そこで、手を合わせ神々に感謝の気持ちを伝えると、不思議に、心がスーッと穏やかになり、晴れ渡る気分になりました。助けてくださった、吉野山の神々に心から感謝すると同時に、自らの使命を心定めしたことに、「良かった…」と言っていただいたような気持ちになれました。
吉野の山は、私の生まれ変わりの聖地となりました。あらためて、全身全霊で、この国に、もう一つの選択肢を創り上げていくことにチカラを注ぐことを皆様にお誓い申し上げたいと思っています。

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