アメリカ中東外交の失敗

 ビンラディンに率いられるアルカイダは、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロを行った。アメリカはアフガニスタンに対して、ビンラディンの身柄を引き渡すように要請したが、タリバンが拒否したため、アメリは、10月にアフガンスタンに侵攻し、タリバン政権を壊滅させた。 そして、米軍の駐留下で、新しい国作りが始まったが、アフガニスタンに統治能力のある政府を育てるには至らなかった。そして、バイデン政権は、2021年8月15日に20年間駐留した米軍を撤退させたのである。 2003年3月20日、アメリカを中心とする西側諸国はイラクに侵攻し、サダム・フセイン体制を倒した。しかし、軍事介入の理由とされたイラクによる大量破壊兵器の保持というのは事実ではなく、しかも、20年後の今のイラクは、民主主義が定着するどころか、腐敗と政治的不安定に悩まされている。 シリアでは、中東の民主化運動「アラブの春」に呼応して2011年に民主化を求める反政府デモが各地に拡大したが、アサド政権はこれを武力で弾圧し、内戦状態になった。2015年9月には、ロシアは、」アサド政権の要請に応える形で、イスラム過激派組織IS(Islamic State)を退治するという大義名分を掲げて、9月30日に空爆を開始した。 トランプ政権は2019年10月、シリアからの米軍の撤退を決定し、アサド政権は軍事的勝利を確実にし、ロシアが存在感を増したのである。 バイデン政権は、アメリカの軍事的プレゼンスが弱まっても中東が安定するように外交的な知恵を発揮した。それは、サウジアラビアとイスラエルを握手させて緊張緩和をもたらそうというものであった。 ところが、ハマスのイスラエル攻撃で、その努力は水泡に続きをみる

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