反政府デモが続く香港:一国二制度の命運

 香港では、中国本土への容疑者の引き渡しを可能にしようする「逃亡犯条例」改正に反対する市民のデモが、最初は6月9日に行われたが、今でもまだ続いている。 19世紀半ばにアヘン戦争に敗れた清国は、イギリスに香港を割譲した。そして、99年間の租借が終わった1997年7月1日に香港は中国に返還された。当時のサッチャー首相と鄧小平と間で、「港人治港」、「一国二制度」を50年間続けることで返還の条件がまとまった。「高度の自治」を香港に認めた上で、特別行政区として中国の社会主義体制とは異なる制度を保証したものである。 22年前、返還時の香港に行って、中国派、民主派双方の指導者たちと議論したが、民主派の中には将来に悲観的な政治家が多かったように記憶している。しかし、私は、中国もまた民主化しないかぎり経済発展はないので、必ず民主化すると考えていた。 ところが、その後の中国政府の動きを見ると、着々と香港の中国化を進めるべく手を打っていったのである。たとえば、立法会は親中派が多数を占める仕組みになっているし、行政長官は親中派が推薦することになっている。 このような状況に対して、市民は抗議を続けてきた。2003年には、50万人のデモで、反体制派を取り締まる国家安全法を廃案に追い込んでいる。2014年には、学生らが行政長官選挙の完全民主化を求める運動、いわゆる雨傘運動を行い、79日間にわたって道路を占拠したが、これは市民の日常生活に不便をもたらしたために批判され、失敗に終わった。 香港の事態は、二つの点で注目に値する。 第続きをみる

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