イタリア政変:コンテ首相の辞任の背景

 8月20日、イタリアのコンテ首相が辞任を表明し、マッタレッラ大統領に辞表を提出した。これで14ヶ月続いた左翼ポピュリストの「五つ星運動」と右翼ポピュリストの「同盟」の連立政権が崩壊。イタリア政局は混迷の度を深めている。ここに至るまでの経緯を説明する。 8月9日、イタリアでは、連立政権を構成する「同盟」が議会上院に内閣不信任案を提出した。 イタリアでは、昨年3月の総選挙の結果、コメディアンのグリッロが創設した左翼ポピュリスト・反既成政党の「五つ星運動」(グリッロは過去の死亡交通事故の前科のため議員資格がないので、ディ・マイオが党首)が第一党になった。しかし、政権作りは難航し、3ヶ月にわたる連立交渉の末、北部中心の移民排斥の右派ポピュリスト政党「同盟」(サルビーニ党首)と連立政権を組み、学者のコンテ教授を首班に迎えて、6月に政権を発足させることができた。「五つ星運動」のディ・マイオ党首が産業相、「同盟」のサルビーニ党首が内相に就任し、共に副首相として政権を維持してきたが、左と右の「水と油」が一緒になった政権であり、政策の違いから軋轢が絶えなかった。「五つ星運動」は、最低年金を月780ユーロに引き上げ、年収1万ユーロ以下の所得税廃止、無駄な歳出廃止で財源捻出などを公約で掲げているが、「同盟」のほうは、個人と企業に一律15%の減税をうたった。そして、「同盟」が、元の党名「北部同盟」が示すように、地盤であるイタリア北部のトリノとフランスのリヨンを結ぶ続きをみる

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