こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
本件は意見を表明すれば、どちらからも激しく批判される案件だと思うのですが…。
「表現の自由」を一つの核として活動してきた政治家として、ブログでも取り上げないのは不適当だと思いますので、私の考えを改めてまとめておきます。
「不快なイベント」「趣旨には賛同」 慰安婦像の展示中止
https://www.sankei.com/life/news/190803/lif1908030014-n1.html公金(税金)が支出された展示イベントにおいて、昭和天皇の肖像写真が燃やされ、慰安婦像(平和の少女像)が展示されたことに多くの批判が集まった本件。
作品は不愉快極まりなく、一刻も早く展示が終わって欲しいと率直に思います。このイベントに公金の支出を許可したことについては、批判も追及もされて然るべきでしょう。一方で、違法ではない表現を強制的に排除することには慎重でなければなりません。極めて難しい問題ですが、それが表現の自由です。 https://t.co/Z5szNZKxgk
— 音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区) (@otokita) August 3, 2019
Twitterでも述べた通りでありますが、私の立場・意見を改めて先に提示しておきますと、
1.本作品は不愉快極まりないものであり、個人としてはまったく賛同も共感もできない
2.表現の自由は最大限に尊重されるべき。一方で、自由には責任を伴う
3.特に公金が支出されたイベントである以上、議会等でも批判や追及・検証が行われるのは当然
4.しかしながら、それでもなお、違法ではない表現を強制的に排除することには慎重であるべきというものです。
行政機関が内容を不適切と判断し美術展への公的資金投下を拒否することは理解できる。米最高裁判決もあり世界的に問題は無い。しかし審査を通り予算執行の決裁が下りた公共空間で公開中の作品を首長が撤去せよと迫るのは別次元の話で「検閲」に他ならず望ましくないと私は思う https://t.co/gwmtM232NR
— ロバート キャンベル (@rcampbelltokyo) August 3, 2019
極めて不快なことであっても、ロバート氏の指摘する通り、一度公金を支出すると決めたイベントからお金を引き上げたり、会期途中で強制的に撤去することは「検閲」になる恐れがあり、慎重であって欲しいと思います。
ただ、「(事後に)議会や政治家が責任追及をしたら、表現の自由が萎縮するからすべきではない」というご意見については、公金が支出されるイベントである以上、全面的に首肯することはできません。
(恐らく行政側の想定を超える)過激な展示内容に対して、ここまで大きな批判・議論が巻き起こったわけですから、どのような理由で公金が支出されることになったのか、コンセプトや承認プロセスが適切だったのかどうか、議会が事後的に検証しなければ、それは完全なサボタージュというものでしょう。
表現に限らず自由には、責任が伴います。
個人的には、ここまで踏み込んだ(特に昭和天皇の動画)作品が展示されるとわかっていたら、さすがに行政側も公金の支出を許可しなかったと思いますし、そもそも私的な個展でやるべき内容だったと思っています。
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こうしたこともしっかりと議論・事後検証をして欲しい…と思っていた矢先に、批判を超える「脅迫」が殺到したことを理由とし、展示の中止が決定しました。
津田さんの理想に期待していただけに本当にがっかりです。きつい言い方だけれど、結果的にみて、津田さんの起用は不適だったと思う。影響を図りきれず、事態を悪化させ、最悪の状態で権力に屈した。本当に残念
— 三浦英之 「牙」が本屋大賞ノミネート (@miura_hideyuki) August 3, 2019
こういう展示をすれば、相当に強烈なリアクションが来ることを想定し、覚悟を決めて対応を準備したうえで決行したんだと思いきや……。甘い見通しで冒険をして、脅しに屈する形で全面撤退して、ますます日本の表現の自由をめぐる状況を後退させるという、最悪の展開。
— Shoko Egawa (@amneris84) August 3, 2019
当然のことながら、もっとも悪いのは「ガソリンを持ち込む」などの言動で脅迫を行なった人間です。
もはやテロ行為であり、警察や関係機関は脅迫行為を行なった犯人を検挙するために全力を挙げていただきたいと思います。
その上で、何人かの有識者の方々がすでに指摘されている通り、今回の主催者側の対応は極めて悪手だったと言わざるを得ません。
とりわけ昭和天皇の動画については、私個人としては、もはや主催者たちが忌み嫌い規制するべきと主張する「ヘイトスピーチ」と同レベルに不適当な表現だったと思います。
これだけ挑発的な作品を展示すれば、並々ならぬ反響・反発が巻き起こるのは容易に想像できることだったはずです。
あまりに事前準備も覚悟もないままに、極めて不適当な方法で「表現の自由」というものに手を突っ込んでしまったのではないでしょうか。
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誰よりも今、主催者自身が痛感していることではあると思いますが、この顛末は我が国の「表現の自由」に対して、大きなマイナスをもたらす可能性が高いでしょう。
公金を入れずに独立してまたやればいい。本来表現の自由がある国だから。脅迫に屈することなく。考え方や立場が違えど自由のために連帯できる強さを僕は身につけたい。さぁ議論だ議論だ。→「平和の少女像」撤去 あいちトリエンナーレ 知事会見 コーナー中止 – 毎日新聞 https://t.co/uCf1Si9GgX
— 堀 潤 JUN HORI (@8bit_HORIJUN) August 3, 2019
ただこのピンチを契機に、表現の自由とはなにか、行政や公金との関わりをどう捉えるかを多くの人が議論し、考え、前に進むためのプロセスにしていくこともできるはずです。
同時に、多くの批判や脅迫に晒されたあいちトリエンナーレスタッフの皆さまの心労に対して、適切なケアが行われることを望むものです。
本件については、引き続き私も注視・調査を続けて参ります。
それでは、また明日。