こんばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
連休も後半戦、積読になっていた「2016年の週刊文春」を読了しました。
文字通り、政界を揺るがす存在となっている週刊文春。「早刷り」と言われる発売前の原稿が(なぜか)世間に出回るのは火曜日で、永田町での関心度は極めて高く、すぐに情報が駆け巡ります。
もちろん文春だけではなくライバル視「新潮」も頑張っているのですが、新聞やテレビのスクープ力が低下の一途を辿る中、週刊誌スクープの存在感がますます大きくなっていることは間違いありません。
その内容次第によって、直近の国会質疑の内容が差し替わる。週刊誌報道のみで独自情報を持たずに政府与党を追及する一部議員・一部野党の姿勢は滑稽そのものではありますが、その国会答弁から派生して新事実が出てくる場合もありますし(だいたいまた週刊誌が出すけれど…)、
「週刊誌ネタで国会質疑なんて、資質を疑う」
と言われていた時代も今や昔といった雰囲気です。
■
本書はそんな週刊文春が、直近のデジタル化まで含めて脅威の存在になった歴史を、歴代編集長にフォーカスを充てながら丁寧に紐解いています。
特にその中心にいるのは花田紀凱と新谷学。序盤の文章は少々冗長で私もそこで止まっていたのですが(苦笑)、花田編集長が出てきてから本書の物語は一気に加速していきます。
世間の関心に徹底的に寄り添い、驚異的な取材力で真実に迫る。しかも、物語性をもって。
小学館や講談社などが発刊する週刊誌が、取引先である芸能界などに配慮をしてスキャンダルに目をつぶる中、どこにも忖度をせずにストロングスタイルを貫き続ける週刊文春。
もちろん訴訟も含めて様々なトラブルにも見舞われ、花田紀凱氏は文春から去り、新谷学氏も三ヶ月の社内休養を命じられる。販売部数は低迷の一途。
それでも「文春の核心はスクープ力だ」という原点に立ち返り、2016年、ベッキーゲス不倫、甘利大臣の汚職、舛添都知事の公用車濫用と独走スクープを連発。
そこからの存在感は、冒頭に示した通りです。
■
筆者・柳澤氏が描く人間像に惹きつけられつつ、週刊文春が週刊文春たる理由、そしてどうしてデジタル社会の中で「一強」を維持しているのかが解き明かされる興味深い一冊。
最後はやっぱり「文春って怖ぇ」という結論となります。
ちなみに柳澤健氏の著作としては「1976年のアントニオ猪木」も超お勧めです。プロレス・アントニオ猪木関係のノンフィクションは沢山読みましたが、ダントツの読み応え。
以上、久しぶりの書評でした。
それでは、また明日。