亡父の政治活動を長年、支えてくれた吾妻郡担当秘書は、栗生楽泉園出身の博学で温厚篤実な人格者!!

2023年10月15日 昼過ぎ。今日は土曜日。午前中に長い散歩をした。毎日、少なくとも1回は必ず外に出て、陽の光を浴びる。脳の健康や体内時計をリセットするために、とても大事なことなのだ。 網膜に光が当たると、セロトニン(いわゆる「幸せ物質」)が、分泌されることも分っている。 さて、前回のブログで、草津町の国立ハンセン病療養施設「栗生楽泉園」を訪問したことを取り上げた。実のところ、楽泉園は、子供の頃から身近な存在だった。 草津町で生まれ育ち、地元の町議会議員、県議、参議院議員を務めた亡父 山本富雄が、楽泉園の出身者を、地元(吾妻郡担当)の秘書として雇っていたからだ。 すでに亡くなっているこの人は、名前を中野源治(げんじ)さんと言った。確か、名前はこの漢字だったと思う。 随分、長い間、亡父の秘書として活躍してくれた中野さんのことは、今も鮮明に憶えている。多分、自分が小学校高学年の頃から近くにいた気がするが、正確なことは調べてみないと分からない。亡父が国会議員に当選した後も、かなり長い期間、秘書として親父さんを支えてくれていた。 そう言えば、亡父が農水大臣を終え、参院自民党の幹事長として中央政界で存在感を発揮していた頃、知事選への立候補をめぐって、当時の小寺副知事(後の知事)と激しくせめぎ合ったことがあった。亡父にとって、「群馬県知事になる」ことは、生涯の目標だった。 そんな時期、自宅に中野秘書を呼び寄せた亡父が、こんな指示をするのを目撃した。 「中野さん、吾妻郡では、ぜひ、こんな話を広めて欲しい!万一、小寺副知事と山本富雄が選挙で戦うことになったとしたら、こちらが絶対に勝つ!!大勢の人にそう伝えてください!!」 振り返ってみると、SNSなんてない時代だ。いわゆる「クチコミ作戦」というヤツだな。(笑)マスコミに関して言うと、新聞の影響力も、続きをみる

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