2020年5月24日:パート2 政治家としての24年間のキャリアの中で、これまで5回の選挙(参院選4回、知事選1回)を経験した。5回とも、全県1区の選挙だった。全て圧勝することが出来た。 もちろん、「オレの力で勝った」などと自惚れたりしていない。大勢の方々に助けていただいたお陰だ。県内約70の後援会に、頼りになる大勢の支持者の人たちがいる。政治家として、これ以上の幸運はない。 山本一太の選挙戦略には、2つの哲学がある。それは「地域の情勢を最もよく知る地元担当秘書たちの力を最大限に活用する」ことと、「特定の個人や組織に生殺与奪を握られない」ということだ。特に独自のスタイルを貫いた過去3回の選挙では、秘書たちの貢献が際立っていた。本当に感謝している。 なぜ、秘書たちが、ワガママな上司のために、そこまで頑張ってくれたのか?!簡単に言うと、自分が1人1人の秘書を(いろいろな意味で)大切にしていたからだと思っている。 秘書たちには、時々、6歳児のように見えるボスが、「自分たちをどれほど頼りにしているか?」が伝わっていた。だからこそ、やり甲斐を感じてくれていたのだ。そうに違いない。 え? もちろん秘書たちにも、一長一短があった。議員本人が欠点だらけなので、文句はつけにくい。 それでも、常に「山本秘書チームはNo. 1だ」と確信していた。実際、過去数回の選挙では、得票数でも得票率でも、地元の衆院議員を上回っている。身内のチームを褒めても、叱られないでしょう? だいいち、他の国会議員だって、自分の秘書団が一番だと思っているはずだ。 政治家・山本一太にとって、秘書たちは「縁の下の力持ち」ではなかった。全員が、政治家人生の中でのメジャープレーヤーだった。 そう思っていただけに、チームを構成する7人の秘書たち(特に地元の5人の秘書たち)は、このブログにも、度々、登場した。国政報告会でも、しょっちゅう名前が飛び出した。よく、地元の支持者の人にこう言われた。「国政報告の中で、秘書の名前に言及する議員っ続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』