なぜ、河野太郎氏を応援しているのか?:⑧〜義理人情や群馬の事情以上に重要な河野総理を熱望する理由

2021年9月26日 午前7時過ぎ。ちょっと肌寒い気候だ。お湯を沸かして、熱いミルクティーを入れた。眠い目をこすりながら、総裁選に関するブログシリーズの続編を記す。 もし誰かに、「あなたは何のために生きているのか?」「人生の目的は何なのか?」と聞かれたら、迷わずこう答えるだろう。「自由になるためです!」と。 当たり前のことではあるが、世の中に、「一切、誰の助けも借りずに生きられる」人間など、存在しない。国家や組織も同じだ。だから、自分の人生哲学をもっと正確に表現すると、「誰か特定の人間や物事に、生殺与奪を握られないようにする」ということだ。 「なぜ、群馬県知事になろうと思ったのか?」と尋ねられたら、「知事という手段を使って、生まれ育った故郷を少しでも良くする(県民を少しでも幸福にする)ことに貢献したいからだ」と回答する。 ただし、「どうして政治家をやっているのか?」と問われたら、次のように返事をする。 「選良として、自らの信念(本心)に従って発言し、行動するためだ!」と。 万一、それが出来ないのなら、政治家なんてやめた方がマシだ。こんなにまで苦労して続ける意味も価値もない!ましてや、(国会議員時代には)「自分たちのリーダーを決める総裁選で信念を貫けなかったら、そもそも議員として頑張っている甲斐がない」と、ずっと思っていた。 実質的に次の首相を決める今回の総裁選で、「河野太郎氏を応援している」のは、あらゆる意味で、「河野総理が最も日本と日本国民のためになる」と固く信じているからだ。 先日、ある地元支持者の人が言った。 「一太さん、いや、知事。いつものことだから全く驚かないけど、こんなに早々に河野太郎さんへの支持をぶち上げて派手に動いたら、後が大変じゃないかなあ?岸田さんか高市さんが総理になったら、それこそ意地悪されるんじゃないか?」 ニッコリ笑って、こう応じた。 「いや、そんなこと、最初から全く気にしていません。もともと勝ち馬に乗ろうみたいな感覚はないし、河野大臣とのこれまでの関係を見れば、私が最初から河野候補を支持するであろうことは、誰の目にも明らかでした。」 「だいいち、岸田さんや高市さんが総理になったとしても、そんな心の狭いことをするはずがありません!そういう人たちだからこそ、これだけ多くの仲間の信望を集められているんです!」 「さらに言うと、(僭越ながら)政治家として、『そんなふうに扱っても大丈夫だ』と見なされるほど、侮られては(舐められては)いないとも信じています。(笑)」 そうは言っても、山本一太は欠点だらけの、不完全な人間だ。ミスチルの歌の歌詞じゃないけど、なかなか思ったように生きられず、もがいている部分もある。だからこそ、このブログのタイトルは「気分はいつも直滑降」なのだ。 が、それでも、政治家として(人間として)最も重要なのは、「信義」(=義理と人情)だと思っている。過去のブログにも書いた憶えがあるが、自分が一番、嫌いなのは、「苦しい時にお世話になっておきながら、都合が悪くなると(自らの保身のために)相手を切り捨てる」ような人間だ。 余分なことではあるが、こういう政治家に限って、表面上は「紳士ヅラ」をしている場合が多い。これ以上のことは書かない。(hold your horses!!) まあ、権力闘争の権化のような政界では、それこそ日常茶飯事とも言える「お馴染みの振る舞い」だ。そう分かっていても、常に損得を優先し、反発を恐れ、恩義のある人に対してどっちつかずの態度を取る議員を見る度に、「何てカッコ悪い生物だろう。あんなふうにはなりたくない!」と心に言い聞かせていた。「やっぱり、政治家は選挙に強くなければダメだ!本心を貫けない」とも。 何度も言うが、万一、今回の総裁選に菅総理が立候補していたら、どれほど旗色が悪くても、最後まで全力で応援するつもりだった。この2年間、群馬県が、知事にとって「政界の兄貴分」でもある菅首相に、本当にお世話になったからだ。 豚熱問題でも、災害対策でも、新型コロナ対策でも、どれほど助けてもらったか分からない。政権が窮地にある時だからこそ、尚更、総理に恩返しをしなければならないと心に決めていた。 同様に、新型コロナ対策、特にワクチン問続きをみる

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