左写真は今から15年ほど前、市有地(南区豊田二丁目)の中から出てきた数多くの砲弾のうちの2本(信管なし)。
この土地にはかつて市営住宅が建っていたが、その役目を終え更地となっていたところをお借りし、市民菜園を作るためユンボで造成していたところ、砲弾がごろごろ出てきたもの。おそらく同市有地の中にはまだ砲弾が残っているものと考えられる。
さて、第二次世界大戦中、この付近には三菱重工の軍需工場(戦闘機製造工場)があったことから、周辺には焼夷弾や砲弾が数多く投下されたとうかがっている。未だ数多くの不発弾が眠っている可能性があることから、山崎川堤防における鋼矢板二重締切工の際にも、工事に先立ち不発弾探査が行われている。
ロシアによるウクライナ侵攻においても、ミサイル等による砲撃で街が次々に破壊されている状況を見ながら心を痛める日々を送っているが、第二次世界大戦においてもこうした砲弾によってふるさとが破壊され多くの方の犠牲があったかと思うと胸が痛む。戦争を抑止するために何が必要なのかを、今こそ、国民自身が考えるべき時なのかもしれない。
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