県市の争いは法廷へ あいちトリエンナーレ

「表現の不自由」をテーマに、慰安婦像(平和の少女像)などを展示したことに反発し、「あいちトリエンナーレ実行委員会負担金」の支払いを名古屋市が留保していた問題で、「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方検証委員会」は、会長代行である市長に対して説明がなかったとして、負担金を全額交付すべき債務はないという報告書をとりまとめた。この報告書を受け、河村市長は支払いを留保していた3,380万円を支払わないことを決めた。

■ あいちトリエンナーレ名古屋市あり方検証委員会委員の主な意見(名古屋市作成)
〇 浅野善治(大東文化大学副学長、元衆議院調査局決算行政監視調査室首席調査員、名古屋市法制アドバイザー)
・市民の意思、役割が考慮されず運営が進められたことは、「事情の変更により特別の必要が生じたとき」に該当し、「事業の成果が負担金の交付の決定の内容及びこれに附した条件に適合する」とは認められないと判断することが適当。

〇 田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)
・報告書の内容に賛同する。さらに、来場者やスタッフまで危険にさらしかねない作品を公的な芸術祭に展示することの是非が問われるべきである。

〇 田中由紀子(美術批評、ライター)
・あいちトリエンナーレ自体は運営会議で決定された通りの会期、会場、規模で開催されており、「交付決定通知書の発出当時の基礎とされていた事情」から大きく変更したとは言えない。

〇 中込秀樹(副座長、弁護士、元名古屋高等裁判所長官)
・負担金の対象となる事業は中止・廃止されることなく完了しており、市は負担金全額を実行委員会に支払うべきである。市の言い分は理解できるが、交付決定の撤回または一部取り消しを正当化できる理由にまで高まっているとは言えない。

〇 山本庸幸(座長、弁護士、元内閣法制局長官、前最高裁判所判事)
・表現の自由が脅迫に屈するという「悪例」を作った。危機管理上の十分な対策を取らずに漫然と展示を行った点に根源的な問題があったのではないか。

まず、あいちトリエンナーレの一つのテーマ展「表現の不自由展」に対する私の感想は、「昭和天皇陛下御真影とみられるものを焼く画像」や「慰安婦像と呼ばれるようなもの」を展示するなど、不適切で不愉快、不敬極まりなく、私的な展覧会であっても個人を焼く映像など決して許されるものではないと考えている。その上で、それぞれ5名の委員の意見を眺めてみると、残念ながら、議論のすり替えが目立つ。

例えば、座長である山本庸幸さんは、「表現の自由が脅迫に屈するという『悪例』を作った。危機管理上の十分な対策を取らずに漫然と展示を行った点に根源的な問題があったのではないか。」と述べているが、そんなことは当然のこと。それが一足飛びに、あいちトリエンナーレ主催者の一翼であった名古屋市の支出をとめることに直結する理由がわからない。予算を執行し問題点があれば、改善することは必要であるし、場合によっては事業の廃止などの措置も必要だろう。主催者が支出をとめたとして、誰が負担すべきと考えているのだろう。たまたま黒字だから負担しないというのでは支払わない理由にはならない。

ましてや、県市は県民市民の命を守るため、コロナウイルス感染症対策で今こそ協調すべき時。しかし、県市が議論を重ね、問題の解決に向けて努力したあとは全く見られない。私は県の進め方も強引なものがあったと考えている。だからこそ、県市が互いに知恵を絞り、互いに歩み寄る中で、一定の結論を導きだすべきであったはず。いくら県の進め方が気に入らないといっても、県を排除したうえで市が一方的に「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方検証委員会」を立ち上げ、負担金の不交付を決めるという乱暴な手法は、市が批判していた県の手法の焼き直しに過ぎない。そのことに、市の職員の誰も異論を唱えないのも疑問。市長の主張にただ漫然と追随する市役所の閉塞を象徴しているといわざるを得ない。

なお、私の意見は、中込秀樹副座長の「市の言い分は理解できるが、交付決定の撤回または一部取り消しを正当化できる理由にまで高まっているとは言えない。」に近い。

今後、法廷での争いとなる可能性も否定できない中、今一度、県市が議論を重ねるきっかけを私たち議会も引き続き模索したい。
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横井利明
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