愛知勢ついに200回目の優勝 ハンドボール全国大会

本年3月17日、トヨタ車体ハンドボール部ブレイヴキングスが第43回日本リーグにおいて決勝で大崎電気を27対23で破り、日本リーグプレイオフ初優勝を果たした。これにより愛知県所属のハンドボールチームは通算199勝となり、200勝に王手をかけていた。

そして、7月20日、21日に碧南市で開催された第21回全日本ビーチハンドボール選手権において、男子は東海Weeds!A(愛知)が優勝。愛知県所属チーム200回目の優勝達成となった。また、同大会において、女子もKUNOICHI(愛知)が優勝し全国大会201回目の優勝を飾った。

ここで、愛知勢ハンドボール200回優勝の歴史を振り返ってみる。

第1回目は昭和25年1月に一宮市で開催された第1回全日本総合ハンドボール選手権大会における愛知クラブ(一般女子)の優勝。50回目の優勝は昭和47年8月愛知県青少年公園で開催された第1回全国中学校大会での名古屋市立東港中学校(中学校男子)。100回目は平成元年3月愛知県体育館で開催の第11回全国高等学校選抜大会での名古屋短期大学付属高校(高校女子)。150回目は平成18年12月愛知県体育館で開催の第58回全日本総合ハンドボール選手権大会での大同特殊鋼(一般男子)。くしくも節目の大会はすべて愛知県内で開催した大会となった。

こんにちまで、ハンドボール競技において、全国大会200回の優勝を果たした県は、47都道府県の中でも愛知県が初めて。しかし愛知のハンドボールの発展の陰には、稲石三二(いないし みつじ)先生の存在が極めて大きい。

稲石先生は、日本体育専門学校(現日本体育大学)を卒業後、昭和25年から名古屋市立桜台高等学校教諭および同校ハンドボール部監督を務め、全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)5連覇を含む9回優勝、国民体育大会で3連覇2度を含む9回優勝など、数多くの実績を残した。その稲石先生の教え子は、現在、名古屋市内の小学校、中学校、高校の教師兼ハンドボール部顧問として活躍。愛知県がハンドボール王国と言われるほどハンドボールが盛んな理由は、稲石先生の教え子の活躍によるところが大きい。

なお、ヨコイが桜台高校3年生の時のクラス担任は稲石三二先生であり、私にとっては恩師でもある。稲石先生が桜台高校でクラス担任を務めたのはこのときのただ1回だけ。その後、稲石先生は桜台高校教諭退職後、名古屋文理短期大学、名古屋文理大学の教員として、ハンドボール部の指導を行っている。その後、平成20年4月、突然逝去された。

さて、オリンピックにおける男子ハンドボール出場は1988年が最後。また、女子は1976年の1回のみしか出場を果たしていない。オリンピックアジア予選では中東勢や韓国に阻まれ出場を逃し続けているのが現状だ。しかし、2020年東京オリンピックでは、開催国として男子は8大会ぶり、女子は11大会ぶりに出場が決まった。稲石先生も空の上から日本の活躍を楽しみにしているに違いない。
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横井利明
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