76回目の終戦記念日

新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が大都市圏を中心に発出される中、76回目の終戦の日を迎えました。太平洋戦争では多くの方が戦場で倒れ、また多くの市民の皆様も空襲等で犠牲になられました。全ての戦争犠牲者の皆様に衷心より哀悼の誠をささげます。

終戦の日には、今は亡き父から、戦争のころの話をよく聞いたものです。

私の家から数百メートルのところに、零戦の設計・製造をおこなっていた三菱重工名古屋航空機製作所がありました。スタジオジブリの映画「風立ちぬ」に登場する主人公のモデルとなった設計者、堀越二郎も同製作所で勤務したそうです。また、日清紡名古屋工場など近隣の大規模な工場も国に接収され、同様に航空機の製作に当たっていました。10年程前に日清紡名古屋工場を解体した際には滑走路のようなものや巨大な水槽等が地中から掘り起こされています。

また、昭和8年に祖父が開業した「料亭静月園(現在の道徳保育園)」も軍の指示により軍需工場で働く工員さんの宿舎になりました。料亭内に数多くあった部屋でたくさんの工員さん方が毎日のように雑魚寝していたことは想像に難くありません。

名古屋市南部には当時、愛知時計(名古屋市熱田区)でも海軍によって軍用機が発注されたり、大同特殊鋼(名古屋市南区)も軍需工場に指定され、軍の特殊鋼需要にこたえた。他にも愛知航空機永徳工場、日本車輌、住友金属工業、岡本工業笠寺工場、名古屋造船、日本碍子、高野精密、名古屋螺子、三菱道徳工場など、工場が集積していたことから、名古屋大空襲の標的とされています。

しかし、これら戦争に関する人々の記憶は年々風化しています。南区内に数多くあった戦争遺産も次々に撤去・解体され、今ではほとんど残されていません。今日8月15日で太平洋戦争の終結から76年を迎えますが、毎年この終戦の日を迎えるたび、戦争の記憶を語り継がなければならないとの主張が繰り返されるものの、戦争を体験した方々が年々少なくなる中で、戦争を経験した方でしかわからない当時の思いや戦争の悲惨さに直接触れる機会はますます困難になります。

昭和38年9月18日、名古屋市会では「名古屋市平和都市宣言」が決議されています。「全人類の平和と幸福を熱望する全世界の人々と相より相扶けて、人類永遠の平和確立のため努力する。」という決議の最後の一文の通り、再び戦争という過ちをすることがないよう、過去の悲惨な戦争を学び、自らのこととして捉えていくのは、今を生きる私たちに課せられた使命であり、そのことこそが世界の平和の実現に寄与すると思います。
PR
横井利明
PR
minami758をフォローする
政治家ブログまとめ