N国・立花党首の「民族虐殺」発言:ヒトラーの反ユダヤ主義を振り返る

 ドイツは第一次世界大戦に敗れますが、当時のドイツでは、戦争には勝っていたのに、国内の革命勢力による「背後からの一刺し」によって敗戦へと導かれたとする考え方が広まりました。そして、この犯罪的行為を行ったのが、マルクス主義者とユダヤ人だというわけで、反ユダヤ主義者などによる彼らを標的とするテロも横行しました。 そして、その革命勢力が結んだヴェルサイユ条約が、賠償などの過酷な要求を突きつけ、ドイツ人を苦しめ、民族としての誇りを傷つけたというのです。したがって、反ユダヤ主義者にとっては、革命勢力が作ったワイマール共和国は打倒すべき対象だったのです。彼らは、ハイパーインフレに苦しみ、生活に困窮するドイツ人の不満を利用します。 そのような反ユダヤ主義者の1人がヒトラーです。1913年にミュンヘンに生活の本拠を移したヒトラーは、政治活動を展開する中で反ユダヤ主義に凝り固まっていきます。 1920年2月24日にナチス党(NSDAP)が旗揚げしますが、その綱領には明確に反ユダヤ主義が掲げられています。 第4条は「民族同胞のみが国民(Staatsbürger)たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえにユダヤ人は民族同胞たりえない」と明記しています。 また、第7条には、「我々は、国家が第一に国民の生計・生存の可能性に配慮することを約束することを要求する。国家の全人口を扶養することが不可能であれば、外国籍の者(ドイツ国民でない者)は国外へ退去させられる」と明示されています。 1920年8月13日にホーフブロ続きをみる

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