桜神明社古墳と曽池遺跡展

IMG_2630名古屋市見晴台考古資料館第2回企画展「桜神明社古墳と曽池(そいけ)遺跡展」が6月29日から始まった。

同日午前10時から伊藤学芸員より桜神明社の氏子の皆様に対して展示物の説明をいただいたが、あらためて南区の呼続、桜、笠寺地区が古墳や貝塚、遺跡の宝庫であることを再認識した。なお、見晴台遺跡で見つかっている遺物で最も古いのは、おおよそ2万年前に作られたと考えられている角錐状石器(かくすいじょうせっき)。名古屋市内で最も古くから人々が居住したのは見晴台を含む笠寺台地といわれているひとつの物証となっている。

IMG_2631■ 桜神明社古墳
南区呼続四丁目に所在する桜神明社古墳は、これまで発掘調査されたことがなく、採集された須恵器(すえき)から5世紀後半ごろの築造と考えられてきた。このたび、名鉄名古屋本線連続立体交差化事業の計画に伴い、古墳の規模や年代を知るため、令和3年度に試掘調査を実施した。

今回の企画展では、試掘調査で判明した古墳の規模や出土した埴輪を展示・紹介し、築造の意義を推定するもの。あわせて同年代の遺跡である曽池遺跡を紹介し、古墳と集落遺跡の関係を考える。

IMG_2632■ 桜神明社古墳の調査の成果
1. 墳形
桜神明社古墳は円墳と考えられるが、今後の調査によっては帆立貝式古墳となる可能性を残す。

2. 規模
墳丘の直径は約42m、高さは4.86~5.86mの推定される。基盤(地山)の標高は、北側が12.14m、東側が11.42mで、北から南に緩やかに下がる。

3. 出土遺物
埴輪は小片が多く、墳丘に伴うものか判然としないが、蓋形(きぬがさがた)埴輪は、近畿地方の古墳に樹立された蓋形埴輪の系譜をひくものと推定され、5世紀初頭~5世紀前半と思われる。桜神明社古墳の築造年代は、最も大きな破片である蓋形埴輪から5世紀前半代と考えられるが、今後の調査によって後半代に下る可能性もある。

4. 築造の意義
鳥栖八剱社(はっけんしゃ)古墳は笠寺台地の東側に、桜神明社古墳は笠寺台地の西側に位置する。台地西縁はあゆち潟(伊勢湾最奥部)に面し、古墳時代には海上交通が重視され湊(みなと:船の停泊地)が必要とされてきた。桜神明社古墳の西側には曽池遺跡があり、現在の曽池付近は湊として開発されたと考えられている。したがって、桜神明社古墳の被葬者は、湊の開発、維持管理に貢献した人物として近畿地方の王権から評価されたと推定される。

■ 名古屋市見晴台考古資料館 第2回企画展
〇 テーマ
桜神明社古墳と曽池(そいけ)遺跡展
〇 期間
6月29日から9月19日
〇 企画展内容
南区に所在する桜神明社古墳と曽池遺跡の調査の成果を紹介する。
〇 住所
名古屋市南区見晴町47
〇 休館日
月曜日
〇 入場料
無料
※ 詳しくは見晴台考古資料館学芸員の伊藤さんにお尋ねしてください。この先生、かなり詳しいです。
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横井利明
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