「ああ、またこの二月の月がきた」。母・セキが「声を一杯に泣きたい」と綴った、小林多喜二が非業の最後を遂げた2月20日。特高警察に虐殺されて91年を迎えました。多喜二をはじめ多くの国民の命を奪った、あの時代をくりかえしてはならないと、あらためて決意する日でもあります。私は毎年、この日に必ず多喜二の小説や関連文献を読むことにしています。代表作の「蟹工船」は何度読んでも、リアルな情景とともに痛みや臭いが伝わり、展開をわかっていながら引き込まれてしまいます。絶望のなかからも希望が見えてきます。
「党生活者」では仲間が解雇されてなお、「(会社は)実は外ならぬ自分の手で、私たちの組織の胞子(たね)を吹き拡げたことをご存じないのだ!」と、新天地で仲間を広げていることを暗に伝えて「前編おわり」と結んでいます。後編で多喜二は、何を伝えたかったのでしょうか。やさしく家族思いだった多喜二が特高警察によって命が奪われるなど、母・セキにとって、こんなに辛く理不尽なことはなかったはずです。自分の頬を多喜二の頬に寄せて「もう一度立たねか、みんなのためにもう一度立たねか」との言葉は、いつも突き刺さるように胸に迫ってきます。多喜二をはじめ、どれだけ多くの先輩に私も励まされてきたことでしょう。命がけの活動のうえに今の日本国憲法があり、その憲法のもとで自由と民主主義が保障されている私たちが、ここで甘んじている時ではない。あらためて決意を固めてがんばります。【今日の句】何度でも 立ち上がってきた 102年