北海道6区は荻生(おぎう)和敏さん、9区は立野(たつの)広志さん--小選挙区の予定候補が発表されました。自公+維新が進める新自由主義政策では、北海道の苦しみは解決できません。荻生さん・立野さんに今度も発表されるであろう予定候補と、自公政治の大元から変える訴えを広げていきたいです。
これまで4度、小選挙区に立候補してきた荻生さん。16,992票(1996年)から 17,884票(2009年)→ 18,915票(2012年)→ 24,656票(2014年)と、立候補のたびに信頼を広げ票を伸ばしてきました。自然を愛し、趣味は昆虫という荻生さんの専門家としての話は一聴の価値ありです。
写真は2017年のときですが、この時は立憲民主党と候補を一本化することから立候補を取り下げました。2021年の前回も立候補せず、裏方として市民と野党の共闘に力を尽くしてきました。専門性を生かして、自然環境や農業を守る論戦が望まれていた荻生さんの立候補決意は、私にとっても本当にうれしい限りです。
苦労や疲れは口にせず、いつも誰かを励ます側にいた荻生さんを押し上げるために、私も力を尽くしたい。昨年はフルマラソンで自己ベストを更新したそうですから、体調もまったく問題なし。6区(上川管内)のみなさん、よろしくお願いします。
立野さんは、旧虻田町と洞爺湖町の町議を計9期も務めました。室蘭工業大学の夜学部で電気工学を学ばれただけに、いっしょに選挙カーでまわったときのトラブルは、いつも「困ったときの立野さん」にお世話になりました。柔和であたたかな人柄は誰からも慕われ、それが町議9期の実績にもあらわれています。
写真は2019年のときで今年4月の町議選は立候補せず、後継の小林まなみさんにバトンタッチ。道後期高齢者医療広域連合議会の議員も務めるなど政策にも明るく、農林漁業や観光・地域経済、社会保障など立野さんの結びつきから懇談をさせていただいたことも数知れず。満を持しての国政挑戦です。
有珠山が2000年に噴火した際、避難者支援や復旧を通じて住民の会を結成しただけでなく、有珠山のガイド活動など火山マイスターの資格を持つ立野さん。防災行政に通じる立野さんの議席の値打ちは、決して9区(胆振管内、日高管内)だけにとどまらないのです。
お2人の記者会見では今後の野党共闘についての質問が集中したとのことで、少し長くなりますが、このブログでも整理して書きとどめておきます。先日の第8回中央委員会では、小選挙区選挙について次のように確認しています。
「小選挙区予定候補者の擁立を積極的にすすめます。小選挙区を総選挙をたたかう政治単位として重視し、擁立を大幅に増やし、党躍進の流れを全国津々浦々から巻き起こしていこう」
あわせて「今回の総選挙では、比例代表で日本共産党を伸ばすことを最優先におき、それに徹するたたかいをやり抜くことを重ねて強調しておきたい」とあります。小選挙区でも勝利をめざしつつ、北海道でも悲願の比例議席奪還に、いっしょに私も力を尽くしたい。
「市民と野党の共闘は、この間の支配勢力による共闘攻撃によって、重大な困難が持ち込まれています。そうしたもとでも、わが党の側から門戸を閉ざすことはせず、共闘の再構築のために可能な努力を行います」とも、確認しました。
立憲・泉代表が「市民連合」を介した候補者調整はありうると発言しています。先日の記者会見で小池書記局長は、候補者調整をしないと言ったのは泉代表だったとして「政党の責任として、党首のこの発言を撤回し(共闘の)障害を取り除く必要がある」と述べました。話し合いのうえでも公式の撤回が必要、ということだと思います。
これまで小選挙区選挙では日本共産党が多くで取り下げ、北海道では立憲民主党の候補の勝利へ様々な形で取り組みました。2017年の「希望の党」騒動で共闘が壊れそうだったときに、日本共産党独自で議席を増やす方針も持てたはずですが、共闘を守るため「身を切る」立場を貫きました。しかし、その後は私たちの自力不足も重なり、議席を増やせないできています。共闘が真に対等・平等なものになっているかも、問われ続けてきました。
その共闘を支え、つないできたのが、市民のみなさんのがんばりでした。その期待に応えるうえでも、政党間の話し合いは誠実に進めることが必要だと私も思います。そして今度こそ日本共産党の議席が増えなければ、野党の力がさらに弱まりかねないと思うのです。
共闘の話し合いは党本部にて進めることとしていますので、まずは小選挙区の予定候補といっしょに、どんどん日本共産党の政策や党の姿を広げていきたい。くらしや商売、農林漁業の苦しみは続いていますし、ジェンダー平等など人権面の後退も甚だしい岸田政権を、何としても変えていきましょう。
【今日の句】どの町も 希望の流れ つくりだそう