治安維持法最初の女性検挙者は

 今日からお盆休みという方も、変わらず仕事という方もいるでしょうね。私は事務所の机上整理で少しすっきりして、これから夏の読書に励みます。その合間に高校野球を見て‥‥、いや合間に読書となるかも‥‥。

 机上整理しながらまとめたかった1つに、戦前のたたかいの歴史があります。ニュースや書類などをPDF化するのですが、そのなかの1人に九津見房子がいます。戦前の日本共産党員の1人で、札幌での活動中、3・15事件後の4月に検挙されました。治安維持法による最初の女性検挙者とされています。

 房子は岡山市生まれ。17歳で家出・上京した後に多くの社会主義者に会い、1927年に入党しています。それ以前に結婚(内縁)と離別があり、2人の娘がいたのですが、労働争議などにかけまわる房子のもと、子どもらしい暮らしができなかったといいます。

 実は房子とともに、長女の一燈子(ひとこ)も検挙され、札幌署で拷問を受けました。獄舎の渡り廊下で泣き叫ぶ一燈子の声を、母・房子に聞かせていたという特高警察の残忍さ。それでも耐え抜いた房子は、後日に「思想のために親を泣かせた人もいますが、私は子どもを泣かせてきました」と、出所したら親孝行ならぬ子ども孝行をしたいと話したそうです。

 その後も非転向を貫いた房子はゾルゲ事件の連座で再び逮捕されますが、戦後、連合国からの思想犯釈放命令を受けて出所。日本共産党から総選挙の候補者にと要請もあったようですが、党に迷惑をかけられないと断ったと伝えられています。

 行動的・活発的な印象ですが、実際は周囲を和らげる「品のいい人」と評されていたとか。沈黙を守り、あまり記録を残さないようにしていたのは、当時の支配層に仲間や組織のことを知らせないためだったことと、あわせて控えめな房子の性格ゆえだったかもしれません。

 自由や民主主義、平和を求めて数々のたたかいや抵抗があったことを学ぶと、その願いが実った日本国憲法が輝いてみえます。憲法を活かすことこそ、日本が進むべき道だと確信します。

 そういうわけで自分をひとまわり大きくするために、あらゆるジャンルの夏の読書に励みたいと思うのでした。

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畠山和也
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