ケアを大切にした社会に

 道民医連や道医労連などが実行委員会を担い、4年ぶりの「国の責任で医療と介護の充実を求める北海道集会」。オンラインにて私も参加し、コロナ禍を経た医療・介護分野の厳しい実態を学びました。集会名どおり、国の責任こそ問われるべきです。

 実行委員長の小内浩さん(道民医連事務局長)が、コロナ禍を振り返りながらの基調報告。人口100万人あたりの感染者数は全国平均より低い北海道なのに、同じく死亡者数は大阪に次いで全国2位。最も医師が多い上川中部でもOECD平均並みですから、全道的には医療過疎地が圧倒的なのです。

 医療機関も介護事業所も経営が深刻化し、物価高騰が追い打ちをかけています。小内さんは憲法25条「国は‥‥社会福祉、社会保障、及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と引用して、「国の責任でいのちと暮らし、ケアが大切にされる社会を」と呼びかけました。

 道難病連・鈴木洋史さん、全医労道地方協議会・三上智子さん、「介護に笑顔を!」道連絡会・五十嵐修平さんによる、それぞれの立場での報告は胸に迫るものがありました。難病患者も医療・介護の職場も、今なお感染対策に神経を使っています。しかし5類化されて、国からのじゅうぶんな支援はなくなっています。

 ケアワーカーは人と人が接触せざるを得ないゆえ、まん延当初は家族にまで差別が及びました。濃厚接触でも職場に出られないため、少なくなった職員で懸命の医療・介護をおこないました。「じゅうぶんなケアができない」ことへの悔しさや不満もあったといいます。

 そもそも医師・看護師や介護職員は、ずっと人員不足のままでした。今日も「担い手が足りないと、いつまで言い続ければいいのか」と強調された発言がありました。ぎりぎりの体制でやってきたのに、政府が「やればできるじゃないか」と、さらなる社会保障の抑制に進むなら許されない。

 2010年に札幌市内のグループホームで、入居者7人がなくなる火災が起きました。夜勤が1人で、とても対応しきれませんでした。助けられなかったと自分を責めているのではと、火災現場で献花しながら胸を痛めたことを覚えています。

 その後、介護施設等へのスプリンクラー設置は進みましたが、そもそも職員を増やすべきとの訴えを前に、どれだけ国は本気の対策を進めてきたのか。医療・介護の現場に自己責任を求めながら、国が最も責任を果たしていない。だからこそ、このような集会を続けてきたことに大きな意義があったのです。

 医療・介護・障害福祉の報酬等トリプル改定が、来年に控えています。命と健康、人権を守ることを最優先とする日本へ、さらに声を大きくしていきたい。

 【今日の句】ケアにこそ 国は本気の 責任を
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畠山和也
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