教訓は生かされているか

 東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から13年。道原発連などの「鎮魂と追悼・連帯のメモリアル行動」に参加しました。哀悼とお見舞いを表し、軍事費よりも防災予算の拡充を、そして原発ゼロの日本へと、新たな政治に切りかえる決意も添えてスピーチをおこないました。

 「3・11」だけでは何のことかわからない世代が増えています。今日も東日本大震災と聞こえてから、「あ~」という声をあげていた高校生くらいの方々がいました。わが家の小6生も震災後に生まれていますし、リアルな実感が湧かないのも当然だと思います。風化させずに語り継ぐことは、次世代が自然災害に直面したときのことを考えても必要です。

 震災・津波はもとより、福島県では放射能汚染により、避難生活を強いられている方は約29,000人。家族や社会に分断を生み、過酷事故が起きれば何年にもわたり故郷に戻れない--原発のない日本をと、あらためて胸に刻みたい。「3・11」は、その後も起きた大地震の1つというだけではなく、異次元の被害を広げて現在進行中なのです。

 それにしても、当時の地震や原発事故の教訓は、どれだけ生かされてきたのでしょう。能登地方では、避難所での雑魚寝が続いたり、じゅうぶんな温かい食事の提供もままならずという状況が続きました。自治体職員も減らされ続けましたが、災害のたびに職員の重要性を痛感してきたはずではなかったのか。

 志賀原発に3mもの津波が押し寄せていたことも、後から明らかになりました。電力会社は安全神話を振りまいてきた一方で、都合の悪いことは隠してきた歴史をくりかえしてはなりません。そして原発も「核のごみ」も利権や金の力を使って地方へと押しつけ、再稼働や新増設を進める自民党政治も、なんとしても切りかえたい。

 朝の定例宣伝では、東日本大震災とともに能登地震に触れたところ、救援募金をと足を運んでくれた青年の姿がありました。誰もが気にかけているし、何とかしてほしいと願っています。それなのに自民党は国民よりも自分たちの金もうけなのかと、多くの方が怒っていることを、岸田首相は本当にわかっているのでしょうか。

 宮城県石巻市の両親や妹夫婦などと連絡が取れず、緊急地震速報や津波・火災の映像がくりかえし報じられ、安否さえもわからなかった13年前。無事を確認できた時の安堵感とともに、別れの言葉を交わせずに突然に亡くなった方々のことを思うと、本当に胸が痛みました。復興の力にと被災地入りしても、被害の大きさを前に、数日間の支援ごときではと無力感に襲われたことも忘れられません。

 しかし、こういう時こそ政治の力と、全国からの連帯を。北海道からも、その力になるべく議席回復をとの決意を新たにしました。

 【今日の句】あらためて なにより命 留めたい
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畠山和也
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