「人間らしい生き方を」の思いは今も

 今日は函館市で「春を呼ぶ女性のつどい」。私からは、治安維持法で弾圧された函館の女性の運動に触れながら、その熱い思いが脈々と続いて日本社会を変えてきた一端を紹介しました。各地のたたかいの歴史に、私自身が励まされます。

 実行委員会のみなさんが準備くださいました。宮内しおり道選挙区予定候補と私からの話に続き、人柄を掘り下げる一問一答や、本間勝美地区委員長が大役を果たした寸劇などで会場は大盛り上がり。

 党市議団(市戸ゆたか・紺谷克孝・富山悦子)も一言ずつスピーチがあり、25年かけて要望してきたスケボーパークが5月に開設したとの報告には大きな拍手。市民の声の高まりと、粘り強い日本共産党の論戦による成果です。

 函館市では「函館市史」「道南女性史」など、市民の手で積み上げてきた蓄積があります。今日の演説で紹介しようとコツコツ読み進めるなか、電話交換手だった菅野キクヱさんら女性5人の活動を知りました。

 通信技術の発展とともに、職場は労働強化が進みます。「函館新聞」の「女の職業シリーズ」では、「司法からの監視づきの状態は緊張の連続であった。1時間に10分の休憩時間、生理ともなれば悲劇だ⋯⋯トイレの数が少なくて用を足さないうちに時間が来てしまうことも珍しくなかった」とありました。

 そこで労働組合をつくった菅野さんら5人は、交渉を通じて休憩時間5分延長やトイレ増設などを勝ち取ります。結びつきも広がるなか1933年、治安維持法違反で起訴された5人が釈放されるまで2年もかかりました。

 組合をつくり職場を改善しただけなのに、執行猶予付き懲役2年の判決が出され、釈放後も特高警察に監視され続けたといいます。お1人は自殺するに至りました。どんなに悔しい思いをしたことでしょう。

 しかし、職場では「人間らしい生き方を」と声をあげた5人の思いは残り、1943年に交換手を中心に職場合唱団がつくられます。その時に指導者となったのが井上幸子さん。井上さんは終戦時に、次のような私記を残しています。

 「その夜は重苦しい暗幕がとりはらわれ、あかるく輝く電灯のもとで、長い間うたうことを禁じられていたインターナショナルを夫と2人、ピアノを叩いて思いきり歌った。久しぶりに味わう解放感だった」

 井上さんは戦後に日本共産党に入党し、音楽の世界では函館トロイカ合唱団の創立・指導にあたるなど、函館の音楽運動に生涯を尽くしました。函館市文化・スポーツ振興財団のHPに、その記録が刻まれています。なお、パートナーの井上一氏さんは初の日本共産党・函館市議会議員となっています。

 菅野さんら5人の労働組合は、特高警察によってつぶされてしまいました。しかし、多くの女性に共感と新たな運動の「種」を広げ、今日までの女性解放・ジェンダー平等へと結ばれてきました。菅野さんらに今の時代のことを伝えたいという思いに駆られ、今日の演説で紹介したということです。

 歴史にはジグザグがあるけれど、前へ進める力は国民の要求と団結です。しかし、女性というだけで差別や弾圧も受けてきた時代に、女性が声をあげることがどれだけ大変だったことか。さらに歴史を前へ進めるためにも、日本共産党を大きくしてほしいと呼びかけました。

 街頭トークにも取り組み、若い世代がチラシを受け取っていく姿も目につきました。32歳の宮内さんの呼びかけに、関心をもった方も多いと思います。いっしょに私も元気よく、必ず社会は変えられると広げていきたい。

 【今日の句】この願い 世代を超えても 引き継いで

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畠山和也
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