梅雨明けなど

 石破 茂 です。
 関東地方の梅雨も明け、都心も酷暑の日々となりました。
 昭和40年代の小学生の頃、一学期の期末試験が終わり、ほとんど梅雨明けと同時に浦富海岸(鳥取県岩美町・山陰海岸国立公園)で二泊三日で行われた臨海学校は、本当に楽しい思い出です。「梅雨明け十日」と言いましたが、安定した天候で、波もほとんどなく、海はこの上なく透き通っており、淡水プールで100メートル以上泳げる「一級」の児童は約1.5キロメートルの遠泳に参加することを義務付けられたのですが、泳ぎ終わって飲んだ「飴湯」が冷えた体にこの上なく美味しく感じられたことを、今も鮮明に覚えています。
 この30年で、全国の海水浴場は二割減少、海水浴客はなんと八割も減少しているとのことです。日光を過度に浴びると紫外線の影響によって皮膚ガンを発症しやすいとの理由によるものなのかもしれませんが、「島国から海洋国家へ」とは言いながら、海に対する親近感が加速度的に希薄になっていくことに、危機感にも似た思いがしてなりません。

 

 度重なる自衛隊、中でも海上自衛隊の問題が噴出していることには、デジャヴの感を禁じ得ません。福田内閣で防衛大臣を拝命していた時、イージス艦衝突事案、航泊日誌破棄事案等々、多くの不祥事や事故が起こり、総理の命により防衛省改革会議が設置され、あらゆる論点を議論して改善の方向を提示したのですが、時間の経過とともに風化してしまったようで残念でなりません。潜水手当不正受給など、あってよいはずがありませんが、いつの間にここまでモラルが低下してしまったのか。護衛艦(潜水艦救難艦含む)は国家を体現しているのであり、その規律は、平素、陸(おか)を離れる機会が多いからこそ、より自律的に厳しいものであるべきなのに、「見えなければ、わからなければいい」ということにどうしてなってしまったのでしょうか。
 自衛隊は「国における最強の実力組織であるが故に、最高の規律が求められ、それに相応しい最高の栄誉が与えられる」という「軍隊」の本質から目を逸らせてきたことが今日の事態を招いたのだと私は確信しています。「自衛隊には必要最小限の装備と権限しか与えられていないので、憲法第9条第2項にいう『戦力』、つまり『陸海空軍その他の戦力』ではない」などという摩訶不思議な説明をし続け、「憲法第9条第2項はそのままにして、新たに第3項を新設して自衛隊を明記する」という改正案を唱えてきたことが、このような結果を招来したと言わざるを得ません。政治、特にもちろん私を含めた自民党が強く反省すべきは、まさしくこの点にこそあります。
 随分と以前にも書いたことですが、森喜朗内閣で防衛総括政務次官(今の副大臣)を拝命した時、かねてより畏敬してやまなかった吉原恒雄先生(当時拓殖大学教授・故人)を政務次官室にお招きした時、「石破さん、あなたは自衛隊を好きですか」と意外な質問をされ、「もちろん好きです」とお答えしたところ、「そうですか。あなたは総括政務次官を辞めるとき、きっと自衛隊を嫌いになっているでしょう」と仰いました。「あなたは自衛隊を好きだからこそ、良かれと思ってこれからいろいろな意見を述べるでしょう。そうすればするほどに疎まれる。残念ながらここはそういう組織なのです」と悲しそうに述べられた時のことを時折思い出しますし、その後、長官や大臣を務めながら、その言葉を強く実感したことでした。幸いにして多くの心ある防衛官僚や自衛官との出会いによって、私は自衛隊を嫌いになることはありませんでしたが、政治家が自衛隊に媚びるようになったり、意見を言わなくなったりすれば、文民統制など成り立つはずはありませんし、やがては国を亡ぼすことにもなりかねません。

 不祥事から国民の信頼を失い、大きな反省のもとに改革の方向性を打ち出したにもかかわらず、更なる不祥事が発覚した、というのは、自民党も同様です。もう一度気持ちを新たにして取り組まねばならないと思ったことでした。

 

 自民党総裁選挙について様々な報道があった週でした。「総裁選の号砲が鳴った」だの「立候補の決意を周囲に語った」だの、報道は選挙と人事にしか関心がないのか、言ってもいないことを書き立てますし、政策の内容に至っては全くと言ってよいほどに取り上げません。もしかすると政策について書く能力がないのかと疑いたくなるほどです。「正論を言っているばかりでは支持は広がらない」とのご指摘は有り難く承りますが、正論を敬遠する風潮を是認していてはいけないのではないでしょうか。政治ジャーナリストと称する方々の中にも、直接会ったことも話をしたこともないのにさも事情通のように論評される方々がおられ、これで世の中が良くなるはずはないと痛感させられます。

 

 トランプ前大統領の狙撃後の対応は、覚悟を決めた見事な政治家のそれでした。究極の時に人間の真価は出るものですし、「サスペンスとディールの大統領」の再登場の可能性を我々はよく認識して備えなくてはなりません。

 

 今週末、出来れば「プーチン重要論説集」(2023年・星海社刊)を読んでみたいと思っています。ロシア正教の熱心な信者とされているプーチン大統領は、その演説や論説の中で聖書をしばしば引用しますが、それがどのような文脈の中で、どのような論理構成で用いられているのか、これを知ることは大統領の思考を推し量る一つの大きな手掛かりとなるのではないか、対ロシア外交を語る上で重要なのではないか、と考えています。
 
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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