新国立競技場完成までの経緯:文科省の無責任体質

 新国立競技場が完成したが、そこに至る経緯を振り返ると、文科省、文科大臣の無責任体質が厳しく糾弾されねばならないと思う。  2015年当時、都知事の私は、旧競技場の解体までの不手際を見て、JSCや文科省が然るべき能力と責任意識を有しているのかどうか、はなはだ疑問に思った。まず、新国立競技場の整備費については、1692億円ではとても済まず、2500億円を超えるという。また、工期については、屋根付きでは間に合わないし、屋根をつけなくても間に合わないかもしれないという。 新国立競技場建設の責任者に能力、責任意識、危機感がないことは驚くべきことであり、大日本帝国陸軍と同じだと思った。日本を戦争、そして敗北と破滅に導いたこの組織の特色は、壮大な無責任体制ということである。極東裁判記録を読めばよく分かるが、政策決定について誰も責任をとらないし、正確な情報、不利な情報は上にあげない。新国立競技場建設について、安倍首相には楽観的な情報しか上がっていなかった。これは、各戦線での敗北をひた隠し、「勝利」と偽って国民を騙してきた戦前の陸軍と同じであった。 私は、2020年までに新国立競技場が完成しないのではないかという危惧すら抱き、国にできないのなら、東京都で「都立競技場」を建設し、これをメインスタジアムにするしかないとさえ考えたのであった。 主催都市として、新国立競技場の完成は必要であり、そのための支援は惜しまないつもりであったが、その前提になる条件を、国、とりわけ文科省、JSCに満たしてもらわなければならなかった。それは、情報を広く国民に公開して、十分に現状を説明し、皆の協力を得るということでもあった。 また、大会後の後利用の展望続きをみる

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