【千葉県議会文教常任委員会】視察レポート①座喜味城跡

こんばんは、我孫子市選出・千葉県議会議員の水野ゆうきです。

 

今週は千葉県議会文教常任委員会で沖縄県に視察。

 

14日の朝、なんと京浜東北線の人身事故の影響をもろに受けまして、京浜東北線で鶯谷で降りることとなり、山手線も京浜東北線もストップ、駅は入場制限という中、「これでは間に合わない!!」と焦っていたら、キャリーケースを持った私を見て、とても親切な方が助けてくださり、タクシーで集合時間に間に合いました💦

助けてくださった方、タクシーの運転手、本当にありがとうございました!

 

政治家の視察に関しては、世間的にも厳しい目で判断をされます。

私は視察に行った際は必ずどこに行き、どういうことを学び、どのように千葉県に活かすか、ということをブログ等で公開をしております。

今回の視察に関しては3回に分けて書いていきますので、お付き合いくだされば幸いです。

(※リアルタイムではFacebookやインスタで投稿しています)

 

特に今回は沖縄県の文化遺産の保存・利活用、学力向上への取り組みについて学びました。

 

さて、14日の昼に沖縄県に到着しまして座喜味城跡へ。

本来、この視察は昨年の10月に予定をしておりましたが、千葉県を襲った台風対応に従事するため、延期をしたものです。

また、視察先も首里城が予定に入っておりましたが、2019年10月31日に発生した首里城正殿をはじめとした主要7施設の火災に伴いまして一部予定を変更しての視察となりました。

 

座喜味城跡は沖縄県読谷村(よみたんそん)にあります。

(※読谷村は現在、人口4万1千人を超え、2014年に日本一人口が多い村に認定されています。)

 

 

「続日本100名城」に選ばれた世界遺産「座喜味城」の美しいアーチを描いた城壁は圧巻でした。

 

 

 

アーチの地形を沿っていくるも繰り返すことにより、崩れにくい城壁に仕立てあげられており、城郭内外に内湾するようにして10個所のアーチが築かれているために死角が生まれにくい構造になっているために防御に有効であったとのことです。

 

さらに座喜味城の基盤層は土であるため、城壁を自立させるために厚みをもたせたことから、大変分厚い城壁となっています。

 

千葉県教育庁・澤川教育長とともに座喜味城跡の前で。

 

座喜味城は15世紀はじめに護佐丸によって築かれました。

しかし、座喜味城の使用期間は短かったとされています。その背景としては、この時期の沖縄は琉球王国が誕生する直前の仙石自体にあたり、護佐丸はのちの琉球国王となる尚巴志とともに北山討伐を成し遂げたのちに山田城から座喜味城へと移り、20年ほどでうるま市の勝連城主である阿麻和利からの攻撃に備え、首里城の防御のために中城城に居を移したということがあげられています。

 

座喜味城跡の隣には2018年6月にリニューアルオープンしたユンタンザミュージアムがあります。

 

 

まずは座学。

 

 

学びのあとは、実際にミュージアム内を案内していただきました。

 

1F展示室に世界遺産・座喜味城跡や読谷で育まれた自然・文化遺産、2F展示室には考古・民俗・自然・沖縄戦について展示されています。

 

 

その中でも、ガマや亀甲墓等のジオラマを通して詳しく、そして生々しく当時の様子をうかがうことができるようになっています。

 

特に、読谷村に所在する沖縄戦を象徴する2つのガマ(鍾乳洞)のジオラマではチビチリガマへ入った約140人の内の83人もの人が自ら命を絶つ様子が再現され、胸が締め付けられる思いでした。

 

沖縄県の子供たちはこのジオラマを通して、「平和とはなにか」「命とはなにか」を考えているとのことです。

 

 

珍しい形をした座喜味城跡と沖縄県の歴史を学ぶことができるユンタンザュージアムを視察し、自分が住んでいる地域の歴史を肌で感じることで『戦争』や『平和』について幼少期から考える場所があることは大変有意義なことだと改めて感じました。