3.11から10年。
東日本大震災でお亡くなりになった方々ご冥福お祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
被災された方々の苦悩や犠牲となった多くの方々のことを我々は決して忘れてはいけません。
思い出すことすらも辛い、悲しみは言葉では表せられないほどの被災者の苦悩を改めて胸に刻みます。
※県議会の有志で2018年、被災地へ行きました。
私は発災時、衆議院議員会館にいました。その時は現政権ではないですが、呆然とテレビを見る国会議員に愕然としました。
繰り返し押し寄せた津波はおよそ2万人の命を奪い、福島1原子力発電所の事故が発生。私は自宅へ帰宅しようと駅へ行くも、すべてストップ。
帰宅困難者となりました。
仕事で国会議員に会うことからも、私はパンプスを履いており、足に血豆ができながら、ペットボトルの水を握りしめて上野まで歩き、両親と落ち合えた時は既に明け方でした。
我孫子市も多大なる被害を受けました。
我孫子市のホームページがダウンしていたりと、千葉都民と言われる我々は我孫子市の情報が取れませんでした。
被災地では、住民の多くは行政による災害情報の提供が不十分だったと評価しています。
「情報は人の命までも左右する」ことを目の当たりにし、その年の我孫子市議会議員選挙において災害時の情報手段の充実を柱とした政策を訴え、防災に力を入れることを決意し、地方政治の道を歩むこととなりました。
私は地方議員だけでなく、奉仕活動を行う我孫子ライオンズクラブでも防災イベントとして、千葉県から地震体験車を呼んだり、防災がいかに大切かということを伝える活動も行っています。
もちろん議会でも1期目は総務防災常任委員会に所属し、本会議でも3.11を風化させない取り組み、職員の被災地派遣などを推進しています。
地方議員として、災害から県民の命を守るために、全力を尽くしていくことを誓います。