なぜ、東京なのか?

常々、「総理を目指す」と言ってきた私が、なぜ東京都知事選に立候補するのか。 一見、矛盾していると捉える人もいるだろう。しかし、私自身の中では何も矛盾はない。 このチャンスで選ばれるならば、1400万人都民の生活を底上げすることができる。 新型コロナウイルス感染拡大による「補償なき自粛」の中で、多くの人々が、収入が減ったり、職や店を失ったり、住まいを失ったりしている。今はまだギリギリなんとかなっていても、この夏で貯金が尽きるという人も多くいる。 このコロナショックの間、駅や路上で行き場を失った人々と数々お会いした。 新宿の路上で行き場を失っていた30代、所持金1万円の方は、支援に繋がれる、アパートに入れると話をしたら、「自分みたいな者がいいんですか?」と恐縮した。 ある日、東京駅の外からずっと改札を見つめ続ける方に声をかけた。「支援をやっているものですけど、今日は泊まる場所はありますか?」そう聞くと、「寝床は東京駅だ」と答えたのは83歳の方。 コロナで仕事を失い、サウナなどを転々とした上で、今日からここにいるという。 「また仕事に戻れば何とかなる」というが、若者でさえ仕事を見つけるのが厳しい状態だ。「支援団体と繋がれば、一時ホテルで寝泊りができ、アパートにも繋がれる」と説明したが、「所持金はまだ3万円ほどあるから大丈夫だ」と断られた。 翌日、どうしても心配になり、もう一度その場所にいくと、その方はいなかった。 別の日には、72歳の方。コロナで警備の仕事を切られ、寮を追い出されて路上に出たという。あと2週間後に年金が入るからそれまで凌げれば何とかなるという。でも所持金はゼロだ。 家もなく、所持金ゼロで2週間、命を繋げるだろうか?支援がなければ、究極は物を盗むか餓死しかない。 その方は支援団体につなげて、生活保護を利用することになり、すでにアパートも決まったと聞いた。 他にも、所持金数百円で、生活保護を断られた若者、刑務所から出所したまま路上に出た私と同年代の方、行き場を失って途方に暮れている人々と毎日のように接してきた。 東京各地の商店街も廻って声を聞いた。 客のいない開店休業状態の居酒屋で、「お困りの声を政府にあげるので話を聞かせてください」、というと同年代の店主は「営業時間中だぞ」と客のいない店で声を荒げた。「申し訳ありません、実態を政府に伝えないと、改善されませんので」と説明させていただくと、肩を落として「5割まで減らないとお金が出ないなんて無理だ。5割落ち込んだら、店が潰れる。うちはその寸前だ。2割でもシンドイのに」とうつろな目で話してくれた。 コロナによって、今日を生きるだけで精一杯。来週、来月の自分の姿も想像できない人々が大勢生み出された。3月末頃から、支援団体には連日のように「もう所持金が150円しかない」「何日も食べていない」というSOSが入っていると聞いている。 悔しいのは、こうなることは十分に予想されていたことだ。貯蓄ゼロ世帯は単身世帯で38%、非正規雇用率は4割弱。病気や怪我で、わずか1週間でも仕事を休めばたちまち家賃を滞納して、ホームレス化のリスクに晒される層はもともと膨大に存在したのだ。政治が貧困や不安定雇用を放置してきたツケが、結局は今、社会的弱者の生活を根こそぎ破壊している。 東京という都市は、コロナ不況がもっとも弱者に凝縮した形で現れている都市ではないか。例えば今、困窮している中にはサービス業についていた非正規単身女性が多いという。また、不安定雇用を繰り返していたロスジェネの困窮も目立つ。そんな層の中には、非正規だからと入居審査に落ちたり初期費用が用意できなかったりで賃貸物件に入れず、シェアハウス住まいの人も多い。が、一般の賃貸物件と違い、シェアハウスはわずかな滞納で追い出されてしまうというリスクもはらんでいる。現在、そのような人々がホームレス化を始めているが、このことは、家賃が高い東京で、十分な公営住宅の整備を怠ってきた都政のツケを、彼ら彼女らが支払わされているようなものではないだろうか。 しかし、そんな状態の人と話すと、みなが口にするのは「自分が悪い」「私のせいだ」。自己責任社会の中で、自分は誰かを頼っていいなど考えたこともなく、たった1人で苦しみ続けている。中には、所持金がほぼ尽きているのに「生活保護だけは受けたくない」と頑なに断り、初めての路上生活に疲弊しきっている人もいる。このような人は、与党議員が繰り返してきた、生活保護バッシングのすり込みによる犠牲者とも言えるのではないか。 これまでの苦しみに加えて、「休業補償なき自粛」を耐えてきた人々。休業手当がもらえず困ってい続きをみる

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