トワイライトスクールの父
学年の異なる友達と自由に遊んだり、学んだり、体験活動に参加したり、地域の人々と交流することを通じて、子どもたちの自主性・社会性・創造性などを育むことを目的として、放課後等に小学校施設を活用したトワイライトスクールが実施されている。
私は平成4年から令和7年にかけ名古屋市会本会議場で「学校開放」というタイトルで、幾度となくトワイライトスクールの原型となった「学校開放」について取り上げさせていただいた。
■ 平成4~7年、横井から提案した「学校開放」構想
1. 放課後学級
2. 体育館や運動場、小学校プールや図書室等の開放
3. 地域の方々を対象とした生涯学習機能
平成8年には道徳小学校で、トワイライトスクールが始まった。
・夏休みにおける小学校プール、学校図書室を開放し本の貸出等を実施
・「源氏物語講座」「平家物語講座」など、地域の方々を対象とした生涯学習講座を展開
開講式には松原武久市長も参加。名古屋第1号を祝った。翌、平成9年からは南区菊住小学校等で放課後学級が始まり、横井から提案した「学校開放」構想の3本の柱がそろった。
さて、トワイライトスクールスクールの実現には、当時、教育委員会の黒宮さんをはじめ関係職員さんの皆様のご尽力のほか、道徳学区連絡協議会の皆様の取り組みも大きかった。令和7年には当時の道徳学区の川北会長さん、子ども会の高木会長さんなど、数人で東京都世田谷区や横浜市に視察に行っている。世田谷区ではPTAが主催する夏休み中のプール解放の様子を視察、横浜市では名古屋のトワイライトスクールの原型となった「はまっ子ふれあいスクール」を視察した。教育委員会と道徳学区連絡協議会が幾度となく話し合いを行い地域が主体となって取り組む今のトワイライトスクールができあがったと感じている。
中でも地域で中心的な役割を果たしてきた高木光男さんは、構想段階からトワイライトに参加。その後、トワイライトスクールが始まった平成8年から今日まで、27年間一貫してトワイライトスクールのAPさんを務めてきた。高木さんはトワイライトスクールの父とされ、多くの子どもたちに慕われてきたが、1月7日の夜中、帰らぬ人となった。長年の取り組みに深く感謝し、ご冥福をお祈りしたい。ありがとうございました。