「史実に忠実なホンモノの天守閣を復元したい。」この言葉の響きに酔った市民は少なくないだろう。
もちろん、築城当時と寸分たがわない木造天守閣をもう一度見てみたいといった気持ちは私も持っているし、今でも変わらない思いであることは事実。
しかし、「何がホンモノか?」と問われると、私自身言葉に窮する。見る角度によってその答えは変わってしまう。いやそのすべてがホンモノだとも言える。
戦争で焼けてしまった天守台だけの名古屋城天守閣、これも一つの歴史でありホンモノであろうし、二度と焼けない天守閣を再建しようと多くの市民の皆さんが浄財を集めて作った天守閣もまた誰の目から見ても名古屋の歴史・文化・市民の願いを有したホンモノだ。
一方で、築城当時の史実に忠実な天守閣はホンモノを復元しようとしたひとつの行為であることは、間違いない。ただ、現時点でホンモノかといわれると、将来は一つの歴史としてホンモノになる可能性が残されているといったのが正しい言い方かもしれない。ただ、ナゴヤの人にとっては「史実に忠実なホンモノの木造天守閣」は超魅力的なフレーズであることは事実だ。
もちろん、築城当時から一部積み替えはあるものの現代まで大切に保存されてきた石垣は、名古屋が誇る国宝級のホンモノの財産であることは言うまでもない。
ただ問題は、河村市政において、二度と焼けない天守閣を再建しようと多くの市民の皆さんが浄財を集めて作った天守閣を「史実に忠実でないあたかもホンモノでないかのような認識」で、今回の事業が始まってしまったところに、危機感を抱いた人が多かったところに問題がある。そして、日本全国に戦後築城された数多くのコンクリート製天守閣に与える影響を考えるとき、過去の歴史や文化を軽視するかのような風潮に、多くの関係者が危惧を抱いているのも背景にはあるだろう。
天守閣木造復元が「市長の公約」として始まってしまい、一方で、市民的な「ホンモノとは?」「史実に忠実とは?」「未来に残すべき名古屋の歴史や文化とは?」などの議論が全く持って欠落していたことが、今回の迷走劇の始まりだった。
文化審議会文化財分科会や第三専門調査会、そして我が国の石垣・考古学のトップが集まる特別史跡名古屋城跡全体整備検討会議天守閣部会の方々から、今回の事業に対するさまざまな問題点が指摘されている今だからこそ、石垣の保存のあり方、天守閣を含めた未来に残すべき名古屋の歴史や文化など、いったん立ち止まってでも徹底した議論をするべきだろうし、その一つのきっかけにしなければならない。少なくとも、「2022年は難しいでよ、アジア競技大会が開催される2026年にしよみゃ~」といったことで済まされることではない。