ハマスやそれを支援するシーア派武装組織ヒズボラやフーシ派の背後には、イランがいる。イランは、中東に展開する米軍の施設を攻撃し、米軍も反撃している。なぜ、イランはアメリカと対立するのか。 第二次世界大戦後、レザー・ハーンの息子のパフレヴィー2世が、独裁者として「白色革命」と呼ばれる近代化と親米政策を断行した。しかし、国民の生活は改善せず、行きすぎた西欧化への批判も強まり、大衆の反発を招いた。 そのような大衆の不満を背景に、シーア派最高指導者のホメイニ師は、海外から反政府活動を指導した。その結果、市民の王制批判の抗議活動を鎮圧できなくなったパフレヴィー2世は、1979年1月に海外に逃亡した。 亡命先のパリから帰国したホメイニは、1979年2月11日に政権に就き、シャリア(イスラム法)に基づく厳格な統治を開始した。 新政権は、革命の混乱でメジャーズ(国際石油資本)が撤退したために、石油の国有化を行った。また、原油の輸出を制限したために、石油価格が高騰し、第二次石油ショックを引き起こした。 パフレヴィー2世は海外を転々としていたが、最後にアメリカへの入国を求め、アメリカ政府はこれを認めた。ホメイニ政権は、アメリカに入国したパフレヴィー2世その身柄の引き渡しを求めたが、拒否されたため、怒った学生らは、1979年11月テヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員52人を人質にとって立て籠もった。 アメリ続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』