節目となる戦後80年の日。日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配という歴史のねつ造を許さないで、憲法の値打ちとともに、次世代に歴史の事実を伝えていきたい。その思いが強めた1日でもありました。
「日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそだ」(参政・神谷代表、6/23那覇市での街頭演説)といった歴史の偽造がまかり通れば、同じ惨禍がくり返されかねません。歴史の教訓は、進路を誤らないために導くもののはずです。
日露戦争で勝利した日本は、弾圧などを強めて、韓国を植民地化しました。
次の目標になった中国には、「満州は日本の生命線」をスローガンに、満州事変から始まる15年戦争に突き進みました。関東軍による傀儡国家「満州国」建設など、侵略を進めました。
豊富な資源を持つ東南アジアへの南方作戦が実行され、マライ、スマトラ、ジャワなどを「帝国領土と決定」(1943.5「大東亜政略指導大綱」)するなど、領土野心を明確にしました。
中国侵略が拡大するなかで米国などから経済制裁を受けたことから、日本は真珠湾攻撃からアジア・太平洋戦争へと突き進むことになったのでした。アジア・太平洋地域で2000万人以上、日本国民は310万人以上の命が奪われました。
1993年「河野談話」では、日本軍「慰安婦」問題について軍の関与と強制性が認められ、反省が表明されました。1995年「村山談話」では、植民地支配と侵略への反省も表明されました。1998年「日韓共同宣言」でも同様です。
しかし、これらの反省を一掃したのが第2次安倍政権でした。集団的自衛権の容認など「戦争する国づくり」のレールを敷いただけでなく、歴史をゆがめる政治姿勢が、この間の新たな極右・排外主義の流れを生み出したと思います。
戦争体験者は、いずれ必ずいなくなります。戦争の犠牲や悲惨さとともに、なぜ戦争が起きたのか、どのように引き起こされたのか、その歴史を伝えることの大切さを痛感します。
そして多くの犠牲や反省のうえに、今の日本国憲法があることも、しっかり胸に刻みたい。マレーシアのマハティール元首相が「マレーシアにも日本の憲法のような戦争放棄を書き込みたかった」と、日本被団協との懇談で述べた(
こちら)意味も重く受け止めなければ。
その日本が、戦争する国へと進んでいいのか。ASEAN諸国のような外交努力を尽くす国へ、そして米国からの大軍拡要求も受け入れず、憲法を守り活かす政治へと変えていきましょう。
終戦記念日にあたり紙智子・前参議院議員、宮内しおり・党道平和運動部長、佐藤綾・札幌市議とマイクを握り、新たな決意を述べました。
【今日の句】教え子を やっぱり戦地へ 送らない