知識をみんなのものに
今日は有珠山噴火から20年という節目の日。北大・岡田教授の噴火予想のもと避難がおこなわれ、犠牲者がなかったため「成功例」とされますが、その岡田教授自身はそう考えていないようです。昨年の北海道科学シンポジウム(日本科学者会議北海道支部)での岡田教授の講演記録を読んで、なるほどと思いました。
実は1910年噴火の際も犠牲者はゼロでした。その事実から「時間・空間を思い切って広げ、内外の先人たちの実体験を掘り起こし、歴史から学び、歴史を活かす一貫した姿勢が、変動する大地で生きるための基本」になるのだと、岡田教授は語っています。さらに言えば、1910年噴火に先立つ前史の理解なしに発信はありえないとも述べています。こうした学びがあったのでした。
しかし岡田教授は、2000年噴火は「予知の成功例」ではなく、研究者と行政、住民、マスメディアが一体となって災害知識の普及や避難情報の伝達に取り組む「リスクコミュニケーション」が上手くいったのだ、と言います。噴火が始まる前に避難する「リスク対応行動」を促すことで、人的被害を発生させずに済んだケースというのです。
リスクコミュニケーションに失敗した例として、岡田教授は1985年の南米・コロンビアのネバドデルルイス火山の噴火で23,000人が犠牲になった「アルメロ市の悲劇」をあげます。ハザードマップも用意されていながら、警戒や避難の仕組みが構築されていなかったそうです。
では、その「仕組み」のカギは何か。岡田教授は「防災のキーパーソンを育てる」ことの大切さを説きます。いったん災害を経験しても、平穏な時代が続けば災害経験のない住民や自治体職員も増えていきます。計画などは作られていても、的確な避難行動に結びつくには、行政、研究者、マスメディアも含めたリスクコミュニケーションが欠かせないとする根拠です。
実際に、2000年噴火の時には、1977年噴火後の「市民大学講座」などで学んだ当時の参加者が核となって活躍したそうです。そこで2000年噴火の後も、胆振支庁(当時)を中心に「洞爺湖有珠火山マイスター」の養成活動を始め、その数は山麓の住民だけでなく移住者や旅館の女将さんなど合計54人。住民の年齢も仕事も住居も行動パターンも千差万別のなかで、的確な避難行動をするためには「コアとなる人たちが一定レベル以上の知識を理解していると災害時に大きな力になります」との言葉は、まさに胸にストンと落ちました。
加えて子どもを対象にした防災教育が効果的だと岡田教授。2004年・インド洋大津波でのプーケット避難や、2011年・東日本大震災での「釜石の奇跡」にも現れています。長いスパンで起きる自然災害なのですから、人間の側も長いスパンで備えをつくっていくことが大事なのだと思いました。
長く紹介したのは、このような専門家の果たす役割の大きさを考えれば、国が科学・研究予算を削減したり、特定分野に偏重することがあってはならないと痛感したからです。岡田教授は「次の大災害と大混乱を待たずに本質改革に取り組めるか、残された時間はあまりに短そうだ」と昨年の時点で悲観的に述べていましたが、今の新型コロナウイルス対策と重ね合わせると、その言葉が重く響いてきます。
あらためて有珠山噴火から20年という日に、北海道での防災対策にも力を入れなければと痛感しています。本当に課題が多いですね。
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