胆振東部地震から4年。紙智子参議院議員・伊藤ふじお町議と厚真町にて亡くなられた方を悼み、宮坂尚市朗町長などから現状や課題をうかがいました。当時の被害は、今も忘れられません。
何しろ北海道の地震記録が残るなかで、初めての震度7。山腹崩壊で飲み込まれた農家や田畑を間近に見て、暗澹たる気持ちになりました。その時に、町民からのSOSを1枚の紙に書きとどめ、必死にまわり続けた伊藤町議の姿に、私もまた励まされたのでした。電話番号や被害の記録がビッシリ綴られた、その1枚の紙を私は「命のメモ」と呼び続けました。
被害は厚真町だけにとどまらず、この広い北海道すべてが停電になり、再通電する「火種」さえも途絶えるブラックアウトという、かつてない事態にも見舞われ、とにかく走りまわった最初の1ヵ月。仮設住宅で心が通じあった方が先日に亡くなった話も聞き、紙議員と訪ねもしました。訪れた災害公営住宅では、くりかえし率直な意見を寄せてくれた方も顔を見せてくれて「記念だから」と、カメラ持参で来てくださったことは本当にうれしい。じゅうぶん力にはなれませんでしたが、私自身も多くのことを学びました。
厚真町役場の町長室には何度、足を運んだでしょう。今日も宮坂町長から「今回の経験を多くの方に伝えねばと思っています」と、シンポジウムも計画したいとの話をうかがいました。初めて今日わかったのですが、震災以前から町職員を全国各地の災害現場に(ボランティアも含めて)派遣し、その蓄積が活かされていたというのです。
社会福祉協議会も人口規模からしては厚真町に多く、当時は大きな役割を発揮したリアルな話をうかがいました。コロナ禍で保健所の役割の大切さが再認識されたように、社協の大切さを痛感しました。新自由主義下での問題意識も共有させていただきました。
自然災害のリスクは、地球規模で高まっています。特に地震大国日本は、津波や土砂災害も重なる複合災害に襲われかねません。その避難時も復旧時もコミュニティが大きな役割を果たすことを、今日も学びました。ハード・ソフトがそろって「災害に強い町づくり」なのだと実感です。余談ですが、復旧工事をしていた現場説明の責任者は、私が教員時代の教え子だったことがわかり、重ね重ねうれしい1日でした。
その後は、水田活用交付金の見直しや飼肥料高騰で悲鳴と不安が広がっている農家のみなさんとの懇談会、白老町に移動して自伐型林業の可能性と課題について大西林業さんから、アイヌ施策だけでなくご自身の人生も含めて宇梶静江さんからと、どこでも濃密な話をうかがいました。長くなるので、日をあらためて紹介したいと思います。
北海道も台風の影響で、風雨が強まってきています。お気をつけください。
【今日の句】復興の主役は やっぱり住民と