先輩の一言があったから

 今日は札幌市厚別区へ。街頭宣伝には子どもたちが駆け寄ってきたり、小さい子連れのお父さんが「オール電化なので大変」と電気料金署名に協力くださるなど、風も強く暑い1日でしたが元気をいただきました。

 写真とは違う場所でも小学生が最後まで演説を聞いてくれたので、感想を聞いてみたら「電気料金と戦争のことがわかった」との返事。チラシも後でおうちの方に渡してね、と話すと「いま持っていくよ」。宣伝をした地域はオール電化の住宅が多いといいます。

 子どもたちを前に演説するというのは、けっこう緊張します。反応も直に返ってくるし、面白くもあります。「演説は中学生でもわかるように」と教えられたこともありますが、本質をつかんでいないと、とっさの言葉は出ないもの。「きちんと学んでおかなきゃな」と、いつも反省です。

 先の署名してくれたお父さんは、「中学校の先生だったのに、どうして政治家になろうとしたのですか」とも。子どもたちが健やかに成長できる社会にしたいこと、差別や暴言を振りまくような政治は変えたいことを話しました。自分自身の「原点」も、しっかり伝えていきたいです。

 なにしろ岸田政権がひどいし、政治も社会も課題だらけで、訴えたいテーマが多すぎる。比例は政党名を書いて投票する仕組みですから、日本共産党そのものを知ってもらい、誤解も解かなければなりません。何年経っても演説は四苦八苦です。

 だからこそ時間をとって、関心あるテーマを双方向を話し合える「語るつどい」に、どんどん各地で参加していきたい。今日も「親から共産党は危険なところと教えられた」という方の話をきっかけに、私自身の入党の経過も話しました。

 大学に進むとき、親から「共産党には近づくな」と言われていた私。そんな気はなかったのですが、湾岸戦争を前に語りあった先輩がたまたま共産党員で、「侵略戦争に反対していたのは日本共産党」との一言が契機になりました。

 調べたら本当だったので驚きました。先輩の一言がなかったら、今の私はありません。どんな対話もムダはない、必ず社会は変えられるという確信は、この先輩から引きついだものなのです。

 その先輩が若くしてなくなり、聞けば最後まで子ども食堂に尽力していたといいます。いろんな活動での制約があるなか、自分にできることは何かと探して人生の最後まで貫いた先輩から「これぞ日本共産党」だと、また学んだのでした。

 日本共産党の歴史は、このような1人ひとりの党員が築いてきたもの。地に足をつけて、私も心ひとつにがんばろうとの思いを新たにした1日でもありました。

 【今日の句】子どもらに 偽りのない 言葉こそ

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畠山和也
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