何年経とうが

 東日本大震災・東電福島第一原発事故から10年。あらためてお悔やみとお見舞いを申し上げます。石巻市に住む両親らと連絡が取れなくなり、被害や原発事故の状況が報道されるたびに心が押しつぶされそうになったことを鮮明に覚えています。

 時間のうえでは10年という節目でも、当事者にとっての苦難は続いています。生活や仕事など直接の苦難とともに、精神的な負担を抱えている方もいます。節目の日だから報道が多くなるのは仕方ないといえ、本当は継続した支援や連帯が必要だと思うのです。先月の福島県沖地震が起きた時にも、同じように感じました。

 ともかくも今日は鎮魂と連帯の1日。街頭宣伝や市民集会で私もマイクを握り、その思いを述べました。黙とうの間に頭を巡ったのは、やっぱり10年前の風景でした。故郷の石巻市、ボランティアに入った気仙沼市、議員になってから視察でまわった陸前高田市‥‥時間の経過とともに被災の実相が見えにくくなるからこそ、より意識的にならなければならないです。北海道でも胆振東部地震から、まだ2年半しか経っていません。しっかり北海道でも力を発揮していきたい。

 事故が続いている福島第一原発の現状を見れば、再稼働を推進する政府・電力各社の姿勢を変えなければなりません。放射能への考え方をめぐって家族や地域にも分断が起こり、補償のあり方をめぐっても分断が起こり、割り切れるような結論が出ないこともあるし、そのリアルな話を聞くたびに心が痛みました。農地を汚された農家や、漁に出られない漁師の心からの怒りの声を受けて、いっしょに国会で要請した時も、どれだけ自分は現場のことを知っているのだろうかと自問自答の日々でした。

 双葉町の住職・早川篤雄さんが、お寺や自宅を案内してくださったことがありました。大地震で家の中はぐちゃぐちゃになり、片付ける間もなく避難をし、その間にイノシシなどの動物に家が荒らされ、どれだけ除染もできるのか-ー早川さんも心が折れることもあったでしょうが、それでも損害賠償の請求訴訟に立ち上がったのです。町に残る方も、町を出ると決めた方も、どの決断も政治が支えぬかなければなりません。原発ゼロは、その大前提であるはずです。

 決意も新たに、私も力をあわせていきます。

 【今日の句】少しでも 役に立てれば 日々思い

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畠山和也
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