北海道の「沖縄の沢川」

  だんだん空気が冷えてきているのを、肌で感じる朝の定例宣伝。秋が短く冬が長い北海道と言われるとおり、ストーブの出番となりそうです。宣伝では手を振っての激励もあり、私からは党の経済再生プランの中心点などを紹介し、訴えました。

 今日は一斉の新聞休刊日でしたが、週間や隔週の新聞が届きます。その1つである農業共済新聞を読んでいたら、「北海道を流れる『沖縄の沢川』」との記事(写真)。場所は枝幸町歌登から中頓別町への道道美深中頓別線を進んだ、オムロシベツ地区とのこと。

 太平洋戦争時、宗谷岬に配置された日本軍の一部が、歌登へ援農として派遣されていたそうです。部隊には沖縄県の出身者も多く、終戦後に故郷へ戻ろうとしたら、沖縄は米国の統治下に。地元住民が手を尽くして、約30人の出身者のうち6人が入植したのが、この地域でした。

 ここを流れる支流に名前はなく、いつしか呼ばれたのが「沖縄の沢川」。でんぷん用ジャガイモの栽培や造材の仕事で生計を立てていた住民は、地域の農業が酪農へと転換するにともないこの地を離れましたが、沢の名前だけは残ったということです。

 沖縄から遠く離れた北海道に派遣され、戦争が終わっても故郷に帰れないという悲痛の歴史。北海道新聞や琉球新報にも掲載されていたようですが、まったく私は知りませんでした。戦争で(大小を問わず)犠牲となるのは国民だと再確認です。

 ハマスとイスラエルの武力衝突で、多くの犠牲が出ていることに胸が痛みます。ハマスによる国際法違反の攻撃は容認できませんが、根源にあるイスラエルによる長年の迫害や国際法違反の占領を見過ごすわけにはいきません。

 日本共産党は、志位委員長名での声明を発表しました(こちら)。双方が自制し、国際機関や国際社会が和平プロセスにかかわっていく時ではないでしょうか。日本政府としての役割も求めたい。

 【今日の句】戦争が 過去の言葉と なるように

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畠山和也
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