生活の現実を見て

 道2区補選で松木けんこうさんの勝利に向けて、さっそく朝の定例宣伝から訴え。その後に厚別区に足を運ぶと選挙区外とはいえ関心も高く、菅政権を終わらせるための、野党の本気の活動が求められていると実感しました。党道委員会でも急ピッチで、さまざまな作業が始まっています。

 昨日も書きましたが、発端は吉川貴盛・元農相が養鶏会社から現金を受け取って行政をゆがめた疑惑であって、政治とカネの徹底究明ときれいな政治の実現が大目標です。あわせて、コロナ禍で国民に寄り添った政治に切りかえるか、これまでの自己責任を押しつける菅政治を続けるのか、分かれ道の情勢が進んでもいます。国民の命と健康に責任を負うために、私も自分の選挙のごとく力を尽くしていきたい。

 時間の合間を縫って札幌地裁へ。「新・人間裁判」と呼んできた、生活保護基準の引き下げ違憲訴訟での判決が出る日ということで駆けつけたのです。地裁前には原告や支援者など多くの方が駆けつけましたが、弁護団が掲げた幕には「不当判決」「司法の責任を放棄」の文字が。2014年に提訴してから20名を超える原告が亡くなり、良い報告ができればと思いましたが残念です。

 しかし、マイクを握った後藤昭治原告団長は「死ぬまでたたかいます」と力強く表明。私も連帯あいさつで、生存権の保障に向けて政治の転換をめざすと強調しました。事前にニュースなどを読み直すと、「親のお墓に行きたくても、遠方で交通費を捻出できず行けない」「壊れて刃がむき出しになったシェーバーを半年間使い続け、その間に少しずつ貯めたお金で買い替えることができた」などのほか、事故により肘や足にボルトを入れ、脳梗塞で倒れたこともありながら新聞配達で稼ぎを得ているという方など、胸が詰まるような訴えばかりなのです。

 こういう苦しみが1人だけでなく、日本全体に広がっているのですから、これは政治・行政の不作為ではないのか。しかし判決では、原告らの生活が最低限度の水準を下回っているとは言えない、厚労相の判断に裁量権の範囲の逸脱や濫用があるとは言えない、生活保護法にも憲法の規定にも違反しないと、真正面から原告の主張や請求を棄却しました。

 大阪地裁で画期的な判決が出されており、それを支えに原告団は歯を食いしばってきたのです。きっと地裁まで、バス代や地下鉄代を節約して来た方だっていたでしょう。生活の現実を見ずして形式的な判決を出したというのなら、まさに「司法の責任放棄」と言わざるを得ない。

 私が候補活動を始めてすぐに、生活保護の母子加算復活を求めるたたかいが、札幌の当事者から沸き起こりました。支援の輪も広がり、全国的な運動も広がって、民主党政権のもとで復活するに至ったのです。日本共産党もいっしょに取り組みました。生活保護の利用を言いにくい日本で、当事者の母親が声をあげることには勇気が必要でしたが、子どもの貧困をなくせと心が一つになったのです。今回の判決は残念ですが、運動と世論の力で押し返すことは必ずできます。私も力を尽くしたい。

 【今日の句】ぬくもりと 人間らしさ ある国に

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畠山和也
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