中曽根元首相の思い出:郵政民営化の荒波にもまれた自民党第一次憲法改正案(2005年)策定作業

 11月29日、中曽根元首相が101歳で死去した。思い出は尽きないが、憲法改正案作りが、郵政民営化の荒波に翻弄された話を記す。 2005年に自民党は、森喜朗元総理をトップに新憲法起草委員会を設置し、精力的な議論を始めたが、与謝野馨政調会長と私で事務局を担当し、実際の条文書きを行った。当時は、小泉首相が郵政民営化を掲げ、党内の反対派と激しく対立していた。 5月には郵政民営化法案が衆議院で審議入りし、政局が緊迫化した。法案は通ったが、8月1日には、民営化賛成派と反対派の板挟みにあった永岡洋治代議士が自殺した。 参議院では、すでに80時間以上も民営化法案の審議をしていた。片山虎之助幹事長と私が委員会で質問に立ち、民営化の必要性をきちんと国民に説明せよと迫ったが、小泉首相は応じなかった。  実は、郵政民営化法案採決の票読みのときに、志帥会の動向が鍵となったのである。亀井静香氏の兄の亀井郁夫氏や荒井広幸氏が反対派の急先鋒であったが、志帥会参議院会長の中曽根弘文氏は、8月3日時点でも賛否を明らかにしていなかった。 そこで、森元総理は、父親である中曽根元総理に、「解散になって自民党が下野すれば、憲法論議の意味がなくなってしまう。何とか息子さんを説得してくれませんか」と頼んだのである。これに対して、中曽根氏は「息子は、私が言っても聞くような奴ではありませんよ」と、その要請には応じなかった。 そもそも、2003年10月に、続きをみる

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