安倍晋三という政治家

 安倍晋三首相は、持病の潰瘍性大腸炎の悪化で、7年8ヶ月に及ぶ長期政権に幕を閉じる。安倍政権の業績と問題点については、時間をかけて検証する必要があるが、私の思い出話を中心に雑文を書いてみる。 私は北九州市(旧八幡市)で生まれた。小倉、門司から眺めると対岸に下関がある。関門海峡を挟んで同じ経済圏である。関門海峡を渡って下関に着き、赤間神宮に参り、魚市場で買い物をして家に戻る、そういう思い出の地だ。 私は、東大で政治学を講じ、日本の政治の実態を研究していた若い頃、晋三の父君、安倍晋太郎元外相の知遇を得て、インタビューなどを行った。晋太郎は、政治評論家に好き嫌いがあったが、私には優しく接してくれた。安倍、竹下、宮沢が総理の座を争い、中曽根裁定で竹下に決まったとき、ある有力者にその舞台裏を見せられたこともある。 今でも晋太郎に頂いた萩焼のお皿を大事に使っている。晋太郎後援会にも、北九州市側から多くが参加していたが、その中には私の友人たちもいた。 晋太郎が亡くなって、晋三が後を継ぎ、選挙の時に、仲間に頼まれて、妻と二人で選挙区に応援に入ったことがあるが、そのときに、昭恵夫人が丁寧な礼状を妻に送ってくれたことを覚えている。 私が、東大の先輩の町村信孝の推しで参議院議員になり、政界入りすると、北九州でも下関でも、晋太郎ゆかりの場所で「これは晋太郎先生が使っていた椅子です。これからは舛添さんも使って下さい」などとよく言われたものである。 2007年夏の参院選で自民党は大惨敗し、参議院は野党の民主党が牛耳るといった「ねじれ国会」になってしまった続きをみる

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