今も現実として受け止められない安倍元首相の突然の死〜断じて許されない卑劣な凶行にやり場のない怒り

2022年7月8日 22時。高崎の自宅にいる。 夕食は、まだ食べていない。料理の準備も始められない。目の前には、冷たくなったミルクティーの残ったカップがある。それをじっと見ながら、もう1時間近くも、ボーッとしている。今も、「安倍元総理の死去」という現実を、受け入れられない自分がいる。 午前10時。メディア関係者が来訪。続けて、午前10時30分から「内部統制推進•評価会議」に出席した。会議終了後、知事室に飛び込んで来た片貝首席補佐官から、「安倍元総理が遊説先で銃撃され、病院に緊急搬送された。心肺停止の状態らしい」というニュースを聞かされた。 「え?何?!」とつぶやいたきり、言葉が出なかった。「何を言われているのか?」が、よく分からなかったからだ。NHKのニュース映像で流れた衝撃のシーンを目の当たりにして、初めて、「実際に何が起こったのか?」を理解した。それでも、まだ信じられない気持ちだった。こんなの、あり得ないもの。 15時前。選挙の応援先から急遽、官邸に戻った岸田総理のぶら下がり会見を見て、「安倍元総理の容体が極めて深刻であり、懸命の救命措置が施されている」ことを知った。が、「必ず回復される」と信じていた。 これまでも様々な試練や困難を乗り越え、憲政史上最長の政権を実現した、世界でも有数のリーダーなのだ。「きっと元気で戻って来てくれる」と自分に言い聞かせた。 午後からの日程(要人との面会や打ち合わせ)は、ほとんど上の空だった。16時30分からの「未来構想フォーラム」(利根沼田地域)では、喋るのが、とても辛かった。最後まで集中力を欠いていた。ご参加頂いた皆さん、本当にごめんなさい! フォーラムが終了したのは、18時50分。直後に、「17時過ぎに安倍元首相が亡くなった」と知らされた。全身の力が抜けるのを感じた。残念というより、無念だ。 安倍元総理には、自分が国会議員に初当選した頃から、長年に渡ってお世話になった。あらゆる政局で常に一緒続きをみる

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