笠寺公園(南区見晴町)周辺にひろがる旧石器時代から室町時代にかけての遺跡である「見晴台遺跡」は、約2万年前の旧石器時代から中世までの遺物や遺構が発掘されている。なかでも竪穴住居跡や濠、また甕や壺、高坏などの弥生土器が多く出土し、遺構の中心的時期は、弥生時代中期から古墳時代初頭、おおよそ2000年前から1700年前といわれる。「見晴台遺跡」質、量とも名古屋市を代表する遺跡といえる。さて、見晴台考古資料館は昭和54年(1979年)10月に笠寺公園の中に建設され、弥生時代の集落である見晴台遺跡の調査結果を中心に紹介している。館内に展示されている資料の多くは、毎年夏に中学生以上の市民参加で行われた発掘調査で、市民が掘り出したもの。また「住居跡観察舎」には竪穴住居が復元されている。しかし、見晴台遺跡や見晴台考古資料館を知る市民はけっして多いとは言えない。
■ 市民の貴重な財産である見晴台考古資料館の課題
1. 見晴台考古資料館の施設の老朽化
・リニューアルや大規模修繕等が実施されず施設の陳腐化が進んでいる。また考古資料館の地下に大規模な収蔵庫が設置されており容易に建て替えや大規模修繕を行うことは困難。
2. 人的体制
・フルタイム(再任用)2名(学芸員、事務職員)、短時間勤務1名(教職員OB)のみの配置。学芸員さんの専門性は高く人材としての評価は高いものの、人的配置が制限されており活動におのずと限界も。
3. 予算の制約
・令和5年度見晴台考古資料館関連予算は人件費を除き608万5,000円。企画展やイベントなどの開催に制限。
4. 埋蔵文化財包蔵地・都市公園
・見晴台考古資料館周辺は周知の埋蔵文化財包蔵地であり、また公園内であることから都市公園法の制限がかかっており、また、考古資料館自体の底地も公園を所管する緑政土木局から借りている土地であることから、さまざまな制約がある。
5. 市民発掘の中断
・全国唯一実施されていた「市民発掘」がコロナ禍の影響で中断されたままとなっており、市民の参加が中断されている。令和6年度予算では市民発掘予算を計上している。
限られた予算、人的資源の中、「見晴台考古資料館」に多数の市民の皆様に足を運んでいただき、にぎわいと交流の場とするため、民間のノウハウと民間人材、民間資金により「見晴台考古資料館梅まつり」が開催させていただいた。開館以来という多数の市民の皆様が考古資料館を訪れ、さまざまなイベントを楽しんだ。
考古資料館では、名古屋市内各地から出土した土器など第一級の資料が保存されている巨大な地下倉庫などのバックヤードツアーや、竪穴式住居ツアーでは普段触れることのできない竪穴式住居に入っての見学会など、さらにあいち朝日遺跡ミュージアムファイブスターズ弥生村長だぁさんのクイズ大会、書道家山内果奈さんによる書道パフォーマンスがおこなわれた。資料館は、保存・収集、調査研究、教育・普及といった本来的機能に加え、社会的役割が複雑化・多様化する中、地域振興や観光、社会的包摂、福祉など、地域の課題への対応が求められている。今後は、民間資金、ノウハウ等を活用したパークマネジメントなどの手法を用い、文化財や歴史資産を活かしながら、魅力あふれる資料館づくりを進めていきたいもの。