青い空は青いままで

 広島・長崎へ向けた「国民平和大行進」が札幌市へ入り、私も午前の幹線コースと集結集会に参加しました。小学生が学校で「ぽーけん」(憲法のこと)を学び、行進に参加するという嬉しいことも。平和な社会を次の世代へ、しっかり引き継いでいきたいですね。

 たった1人から始まった平和行進は、いまや全国で網の目のように行進していく、大きなうねりとなっていきました。1滴の水滴が大河のように広がり、平和や核廃絶を願う世界の世論といっしょに、核兵器禁止条約の発効へと歴史は進みました。

 世界を見れば、ロシア・プーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせ、アメリカでは臨界前核実験がおこなわれました。とても許されません。

 唯一の戦争被爆国・日本では、改憲勢力が国会で多数を占めています。核兵器を認める発言までする政治家もいました。しかし、国民の多数は核兵器廃絶と平和国家への歩みを望んでいるのではないでしょうか。

 その思いを行進という形に表すのが、この国民平和大行進。抜けるような青空を見て、歩きながら「青い空は青いままで 子どもらに伝えたい」と「青い空は」の歌詞を思い出しました。

 集結集会では、被爆者である金子廣子さん(写真は私の隣)がマイクを握りました。5歳の時に広島で被爆され、いっしょにいた姉は1週間後に、お父さんは4年後に亡くなります。北海道に来られ、しばらく後に自身の症状と被爆の関係を医師に聞いたら「それがどうしたの」と言われ、ショックを受けたそうです。

 それからは被爆を隠しとおし、「廣島」から付けたという「廣子」も、通名として「広子」を使われていたといいます。しかし、福島第一原発事故を機に「自身の被爆体験を語らねば」との思いに至った金子さん。それまで受けた苦しみは、どれだけのものだったでしょう。

 「被爆した直後だけでなく、何年にも渡って被爆者は苦しんできました」との言葉が重い。多くの戦争被爆者が苦しむ日本なのに、なぜ核兵器禁止条約に参加できないのか。あらためて憤りが湧いてきます。

 合間に、民青同盟での「気候危機」についての学習会で講師を務めました。自然科学の専門家でもない私ですが、あらためて国際情勢や欧州の取り組みを学び伝える中で、私自身がとても勉強になりました。気候危機は、もはや待ったなしの重大課題です。

 ラピダスやPFAS、ラムサール条約と釧路湿原など北海道にかかわる質問もあり、身近なところも大元の国政も、ともに変えていかないとという話にも。ちなみに札幌市の5月の平均最高気温は約18℃、6月でも約22℃なのに、今日の最高気温は25℃でした。

 気候危機はティッピングポイント(転換点)を超えると、後戻りできなくなると専門家から指摘されています。切迫感をもって政治が取り組むべきと、私も思いを新たにしました。

 【今日の句】この1歩 必ず世界に つながって

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畠山和也
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