昨日に続きJR留萌本線の減便にかかわる調査で深川市へ。北名照美市議の案内で、山下貴史市長や市内にある高校の校長先生らから話をうかがいました。
「沿線の沼田町・秩父別町といっしょに、JR北海道へ要請書を出しました」と山下市長。深川市は市内に通う高校生の定期代を補助するなど、高校生の通学にも支援をしてきました。留萌本線の維持・存続に向けても利用促進策を相次いで打ち出すなどしてきましたが、今回の減便は突如のことだったといいます。
「減便はやめてほしいが、コロナ禍でJRも経営が大変ななか、しっかり国として支援してほしい」とのお話は路線存続にとっても重要な点です。JRはもちろん公共交通は赤字が出ても支えなければ、通学・通勤・通院などがかなわなくなります。山下市長も「JRは純粋民間企業としてあるわけでない」とキッパリ述べられていたことは同感です。
市内の3高等学校(深川西・深川東・クラーク国際)にも足を運びました(写真は深川西高校)。「時期にもよるが、減便の時間には10数人が利用すると思われる。多くの方が声をあげてくれているのがありがたい」(深川西)など、利用実態もお聞きしました。クラーク高校の副校長先生は留萌本線で通勤していた時もあり、沼田や秩父別から多くの高校生が実際に乗車している話もされました。
どこも今年度はコロナ対応に追われ、学校行事の中止・延期の判断で悩まれている話もうかがいました。教職員のがんばりを支え、移動手段も含め、教育環境を整備するのは行政や政治の大事な役割です。私からも力を尽くすことを述べました。
余談ですが、懇談の合間に北名市議から安保闘争時の話などもうかがいました。深川市から全国・道内へ、後に党議員・機関職員を担う党員が多く巣立っているのです。沼田町生まれで、衆議院議員を通算7期も務めた故・中島武敏さんもその1人。各地の奮闘の歴史があるからこそ、今の私たちの党活動があります。その歴史を知っていてこそ、多くの方ともつながりあえます。
北名さんの話で興味深かったのは一已農協から一等米が出たときに、他の農協がするような祝賀会をせず、一已農協は各農家に広辞苑を配ったという話。深く広く物事をとらえながら農業をするのだという、哲学を感じるエピソードです。ネットでなんでも調べられる時代ですが、言語や知識とは単なる文字でなく、現場で生きた生命力を発揮するものと再認識です。じっくり地に足をつけた活動をしたいと、あらためて心から思いました。
【今日の句】どの町の歴史も 学びがあってこそ