「3・15」を超えて

 朝の定例宣伝の後、今日は橋本みか道5区予定候補と北広島市・恵庭市・千歳市へ。私も久しぶりの各市での街頭宣伝で、多くの党員・後援会員さんも駆けつけてくださいました。本当にありがたいです。北広島市では山本ひろみ・永井もも・人見てつや各市議、恵庭市では小林卓矢・党市委員長、千歳市では議会中の吉谷徹市議の代わりに元市議・佐藤仁さんが同行してくださいました。

 道5区は2016年の補欠選挙で野党共闘が成立し、全道・全国からも大きな応援をいただきました。次の総選挙でも市民と野党の共闘で勝利することは大目標ですが、ただの数合わせでなく新しい政権への合意や政策協定が必要です。そうでなければ本気の選挙協力にならないし、国民からも野党の本気度も問われるでしょう。橋本みかさんは国政で立派に働ける方だし、今日も国民のための政治をとの訴えには共感が広がりました。

 菅政権への不満はどこでも聞きます。同時に、野党に対して「しっかりしてほしい」との声も少なからず聞きます。千歳市での「つどい」でも、農家の方から「民主党政権には期待があったけどダメになって、今度も政権交代をと言っても国民は信用してくれるのか」と意見が出されました。政権交代できてもフラフラしたらダメで、だからこそフラフラしない日本共産党の議席を増やしてほしいと、私から話しました。

 今日は3月15日。小林多喜二の「一九二八年三月十五日」を引くまでもなく、日本共産党の先輩たちがいっせいに検挙された日です。この「3・15事件」を経て厳しい弾圧が増していき、小樽市では2ヵ月間で500人が検束されたといいます。治安維持法は最高刑が死刑とされ、党組織も壊滅的な打撃を受けました。特高警察による拷問に歯止めがなくなってしまったのです。

 翌年の帝国議会で山本宣治が追及したのに対し、当時の政府側は「所見を述べる必要はありません」と答弁拒否。1ヵ月後に山宣は刺殺されてしまいます。その後は自由な言論がさらに封殺され、十五年戦争に突き進んでいったのは、ご存じのとおりです。自由と民主主義、平和を訴えた国民や日本共産党は、当時の権力にとっては邪魔者だったのでした。しかし終戦を迎え、日本国憲法には平和主義や基本的人権が盛り込まれ、私たちの先輩の主張は正しさを取り戻したのです。フラフラしないことの大切さを知っているのは、このような歴史を持つ党だからこそ。

 「つどい」でこのような話をしたら、長く党を応援してくださった方が「近所の人に『どこに行くの』と聞かれたから、私は日本共産党の寄合いに行くと話してきたんだ」と、誇らしげに語られました。日本共産党の応援を隠さざるを得ない時代を生きてきた方々の、このような思いや粘り強い活動があったからこそ、今の私たちがあります。そして今や、市民と野党の共闘を呼びかける役割を担うに至りました。共闘には誠実に取り組みつつ、同時に日本共産党が伸びてこそ政治が変わることを、くりかえし私は訴えます。

 【今日の句】長い目で見れば 歴史は変わってく

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畠山和也
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